高山城跡

マーカーは高山城跡です。

高山城跡
[高山城(たかやまじょう)は岐阜県高山市にある戦国時代から江戸時代前期の日本の城である。
標高686.6mの城山(臥牛山、巴山ともいう)に築城された平山城で、曲輪、堀、石垣、土塁などの遺構が残る。望楼型2重3階の非実戦的な天守を持つ御殿風の古い城郭形式は、織田信長が築城した安土城の影響を受けたものと見られている。
室町時代文安年間 – 飛騨守護・京極氏の被官、多賀出雲守徳言が天神山城(多賀山城)を築城。
永正年間 – 高山外記が山頂部に天神山城を築城。付近を高山と呼ぶようになったというが異説もある。
●戦国時代 – 三木自綱が高山へ進出、飛騨を平定、松倉城を築城した。越中佐々成政と同盟し、豊臣秀吉に対抗したことから、1585年(天正13年)豊臣秀吉の命を受けた越前大野城金森長近三木氏を攻め、飛騨を制圧し、飛騨3万3千石の領主となる。当初、長近は鍋山城を居城としたが、1588年(天正16年)天神山城跡を利用して高山城を築城。1600年(慶長5年)までに本丸・二の丸を完成させ、その3年後までには三の丸が整備された。築城と同時に城下町の整備も進められ、高台に家臣屋敷を建設し、下段の三町を町人の町とした。そして京都に倣って東山に寺院を集めた。
●1692年(元禄5年) – 金森頼時出羽国上山藩への国替えにより、高山城は加賀藩前田綱紀が預かった。
●1695年(元禄8年) – 天領となったため、幕命により高山城は前田綱紀により破却される。
現在は、岐阜県高山市空町城山公園。城跡は県指定史跡であるとともに、野鳥生息地として天然記念物にも指定されている。 高山市天性寺町62  法華寺本堂(県重文)は高山城の一郭を移築したものといわれている。

高山城本丸・wikipedia-photo

高山城石碑・wikipedia-photo  (wikipedia・高山城_(飛騨国)より)]

高山城跡 – Google Map 画像リンク

カメラ南方向に高山城石碑があります。

カメラ位置は高山城天守跡です。