金堂

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金堂
[昭和元年(1926年)に焼失後、昭和9年(1934年)に再建された鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目になる。現本尊薬師如来阿閦如来)で、金堂再建時に新造された高村光雲の作である。1926年の焼失時、堂内には旧本尊を始め7体の仏像が安置されていたが、堂と共に焼失した。旧本尊像は公開されたことのない秘仏であった。旧本尊の像名については、古来阿閦如来とする説と、薬師如来とする説とがあり、両者は同体であるという説(薬師如来だが像容は阿閦如来であるとする)もあった。高村光雲作の本尊像は高野山開創1200年を記念し、2015年4月2日から5月21日までの間、初めて開扉された。本尊の両脇に安置されていた6体の仏像(金剛薩埵坐像、金剛王菩薩坐像、不動明王坐像、降三世明王立像、普賢延命菩薩坐像、虚空蔵菩薩坐像)については、焼失以前に撮影された写真が残されており、作風から見て、空海の時代からあまり隔たらない9世紀頃に作られた密教像として、極めて貴重なものであった。内陣・外陣壁面の仏画は木村武山の筆。
金堂・wikipedia-photo  (wikipedia・金剛峯寺より)]

[高野山御開創当時、お大師さまの手により御社に次いで最初期に建設されたお堂で、講堂と呼ばれていました。平安時代半ばから、高野山の総本堂として重要な役割を果たしてきました。 現在の建物は7度目の再建で、昭和7年(1932年)に完成しました。梁間23.8メートル、桁行30メートル、高さ23.73メートル、入母屋造りですが、関西近代建築の父といわれる武田五一博士の手によって、耐震耐火を考慮した鉄骨鉄筋コンクリート構造で設計、建立されました。 内部の壁画は岡倉天心に師事し日本美術院の発展に貢献した木村武山(ぶざん)画伯の筆によって、「釈迦成道驚覚開示(しゃかじょうどうきょうがくかいじ)の図」や「八供養菩薩像(はっくようぼさつぞう)」が整えられました。本尊の阿閦如来(薬師如来、秘仏)は、洋彫刻の写実主義に関心をよせ、江戸時代までの木彫技術に写実主義を取り入れて、木彫を近代化することに貢献された、高村光雲仏師によって造立されました。  (「名所一覧 | 高野山真言宗 総本山金剛峯寺」より)]

高野山伽藍案内図(「伽藍を訪ねて – 気まぐれ日記」より)

  
金剛峯寺 金堂 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向が金堂です。