鴻池稲荷祠碑(伊丹酒)

マーカーは鴻池稲荷祠碑です。

鴻池稲荷祠碑
[伊丹市鴻池6丁目14番、児童公園内
鴻池の児童公園に立っています。ここは江戸時代の豪商として知られる鴻池家の発祥地とされています。
碑は,中国の古代貨幣「布貨(ふか)」の形をした砂岩製で,花崗岩製の亀趺(きふ 亀形の台石)の上に立てられています。上部の凸出部を篆額(てんがく)に見立て,右に「稲荷」,左に「祠碑」の文字を篆書(てんしょ)で刻んでいます。鴻池家の由来を記したこの本文は大坂の私塾懐徳堂(かいとくどう)の教授であった中井積徳(せきとく 履軒 りけん)の撰文と筆になります。製作年は碑文の内容から,天明4年(1784)から間もないころと考えられます。
平成3年に伊丹市の指定文化財(史跡)に指定しました。
鴻池家は戦国の武将山中鹿介(しかのすけ)の末裔(まつえい)といい,現在伊丹市域の鴻池で清酒の醸造に成功し,後に大坂に出て両替商などで財を築きました。東大阪市には鴻池家が開いた鴻池新田(しんでん)の会所が残り,国の重要文化財に指定されています。
碑文の大意
鴻池家は酒造によって財をなし,慶長5年(1600)から200年も続いている。その初代は幸元(ゆきもと)で山中鹿之介(正しくは鹿介)の子であると言われている。鴻池家は,はじめて清酒諸白(もろはく・伊丹酒)を製造し,江戸まで出荷した。近隣の池田・伊丹・灘・西宮などでは鴻池家にあやかって酒造業を起こした者が数百軒もあった。
鴻池家の屋敷のうしろには大きな池があり,これを鴻池といった。これは村の名の由来となり,またその名前を大坂の店の屋号として用いた。
鴻池家が酒造業を始めた年,屋敷の裏に稲荷の祠をまつって家内安全を願った。幸元の子どもらのうち大坂で分家した者は3家,そこからさらに9家が分かれた。大坂の鴻池家の富は莫大になっている。
宝暦13年(1763)秋の大風で稲荷の祠がこわれた。20年後,当主たちが集り,「先祖の遺徳を忘れてはいけない。祠を再建する費用はわずかであるが,一人だけが出せば,他の人は祖先の恩徳を忘れてしまう。皆で出し合おう」ということになった。天明4年に祠が復旧されたとき,それらの事情をすべて石に刻んで残そうということになった。幸元から数えて7代目の当主元長の子,元漸(もとやす)は自分(中井履軒)の弟子であったので,元漸の依頼によってこの銘文をつくった。  (「鴻池稲荷祠碑(いなりしひ) – 伊丹市」より)]

摂津名所図会. [前,後編] / 秋里籬嶌 著述 ; 竹原春朝斎 図画」-「8巻29・池田伊丹酒造

[伊丹酒の隆盛は、鴻池村における鴻池直文(善右衛門、山中新六幸元)が清酒造りに成功したことに始まった。慶長5年(1600年)に伊丹の鴻池直文(善右衛門)が、室町時代からあった段仕込みを改良し、麹米・蒸米・水を3回に分ける三段仕込みとして効率的に清酒を大量生産する製法を開発した。これはやがて日本国内において、清酒が本格的に一般大衆にも流通するきっかけとなった。また、これを以て日本の清酒の発祥とみなす立場もあり、伊丹市鴻池には「清酒発祥の地」の伝説を示す石碑「鴻池稲荷祠碑」(こうのいけいなりしひ)が残っている。
元禄16年(1703年)の記録によれば、南都諸白のころよりも十数倍も大量生産になっていることがわかる。その理由として、杜氏集団の分業化と酒造工程の連続的運用という酒造技術の採用があげられる。諸白は酒母に麹と蒸米・水を三段階に分けて仕込むのが特徴である。南都諸白は各段階とも等量に仕込む方式であることから大きな酒造量は望めない。一方、伊丹諸白では各段階とも倍加させながら仕込む方式を採用し、比較的大量の造酒が可能となった。また、杜氏が働き人と呼ばれる酒造労働者群を統率し、精白-洗米-蒸米ー麹づくり-酒母づくり-もろみづくり-搾りあげ-火入れ、などの酒造工程に配置され、麹と蒸米・水を倍加させながら三段に仕込み、これらの工程を繰り返し運用することで、量産方式を確立した。  (wikipedia・伊丹酒より)]

「伊丹酒造 米あらひの図」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 1巻 – 9p 」)

「伊丹酒造 麹醸」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 1巻 – 11p 」)

「伊丹酒造 酛おろし」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 1巻 – 13p 」)

[麹に水と蒸し米、酵母を加えて培養していくと「酛(もと)」になります。『日本山海名産図会』では仕込んだ酛を酒蔵の二階へ運ぶようすが描かれています。つまり酛は二階でつくられているのです。何故、わざわざ二階でつくるのでしょうか?  答えは、二階の方が室温が高くなるので酵母の培養に適しているから。答えを聞くと納得…なのですが、絵を見ているだけではなかなか気づかないものです。ちなみにこの二階へ上がるための階段はかなり急な勾配になっており、踏み板部分も幅が狭くなっています。桶を抱えて上り下りしやすいように、という工夫なのだとか。『日本山海名産図会』にもきっちり描かれていますね。  (「下戸の酒蔵好き!?~特別展準備中」より)]

「伊丹酒造 酘 中 大頒」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 1巻 – 15p 」)

[酘(そえ)とは、酒をふたたび醸すなどの意味をもつ漢字。頒の意味はわける。]

「伊丹酒造 酒しぼりの図」(「日本山海名産図会. 巻之1-5 / 法橋関月 画図」 – 「 1巻 – 17p 」)

[もろみを拌(はん・まぜる) 袋に入れて醡(酒を搾る)に積 酒搾り さましの図]
[「天秤しぼり」とは、木製の箱のような酒槽に醪(もろみ)を入れた酒袋を積み入れ、上から圧力をかけてしぼる方法です。酒袋の上に桟木や台などをのせ、先端に重石となる掛り石を取り付けたハネ棒をのせます。ハネ棒の反対側は手前に見える太い柱(男柱)に固定されているので、テコの原理で圧力がかかり、酒がしぼれていくのです。  (「下戸の酒蔵好き!?~特別展準備中」より)]

カメラ西北西方向に鴻池稲荷祠碑と案内板があります。