マーカーは大江の関明神です。
大江の関明神
[平安時代、山陰道の丹波国と山城国の境界に関所が設けられました。現在、旧道の関の山という字地に、その関所跡だとされる「関の明神」の小祠が残されています。
大枝の地は山城・丹波の二国を結ぶ交通の要地で、大江関(大枝山関)が設けられた山陰地方への出入口です。古墳時代は葬送の地でしたが、山背(山城)国に都が遷されてから交通上だけでなく、軍事上の要衡となりました。都を守る儀式が行われる重要な西の国境でした。また、大枝山・老ノ坂は和歌の歌枕とされ、酒呑童子に代表される伝説・説話の舞台にもなりました。さらに、戦国時代には明智光秀の老ノ坂越えの逸話を残し、江戸時代の山陰街道は参勤交代の大名行列路として、多くの人々の往来で賑わう道として栄えてゆきました。 (「31 大枝 桂坂 – 京都市埋蔵文化財研究所」より)]
「都名所図会」・巻之一 平安城再刻 沓掛の里大枝坂 (老の坂) 、巻之一 平安城再刻 大枝坂 (老の坂)解説
沓掛の里大枝坂 (老の坂)(拡大図)
[都の西なる樫木原沓掛の里大枝坂は、山重り樹林茂り常に霧深ふして谷幽なり。子規聞かんとて都の騒客此ほとりにいたり、夏の月の清げなるを詠て歌よみ宴して沈酔する時、何がしの鳥の一ツ声におどろかされてねむりをさますも、韋応物が詩の心にちかし。]
「拾遺都名所図会」・「巻之三 後玄武・右白虎 老の坂」
老の坂(拡大図)
カメラ北方向に関所跡だとされる「関の明神」の小祠があります。
大江の関明神(Google Map 画像)