中山道分間延絵図(大湫宿)

絵地図初期設定画面に「藤村(恵那市武並町藤)」と記述され、集落右に「藤川」、その右に「神明神社」が描かれています。絵地図を右にスクロールすると、中程過ぎに、中山道水平部分の街道上下に「紅坂一里塚」が描かれています。

絵地図初期設定画面に「釜戸村(瑞浪市釜戸町)」と記述され、右端に二箇所の中山道横断暗渠が描かれその右に赤丸印が描かれています、そこが釜戸村と藤村(現在の瑞浪市と恵那市)の境界です。絵地図を右にスクロールすると「藤村(恵那市武並町藤)」と記述されています。

絵地図初期設定画面中央右、中山道 L 字の底辺中央の街道両サイドに「権現山一里塚」が描かれています。絵地図を右にスクロールすると「釜戸村」と記述され、その左に「炭焼の五郎坂」、坂下に「炭焼立場」が描かれています。

絵地図初期設定画面に「大久手宿(大湫宿・瑞浪市大湫町)」と記述され、記述右下に「白山神社」、その参道口左に「問屋場」、「脇本陣」、右に「本陣」と記述され、「大湫宿京木戸口」に「高札場」、宿場右に「江戸口桝形」が描かれています。
[宿内の町並みは、十三峠西端の寺坂を下りた北町から、白山町、中町、神明町、西町までの東西3町6間(340メートル)でした。枡形は北町につくられ、本陣は白山町の北側、問屋場と脇本陣は中町の北側にあり、往還に沿ってつくられた細長い町並みでした。  (「大湫宿|瑞浪市公式ホームページ」より)]

絵地図初期設定画面街道左端付近に「中山道二つ岩碑(母衣岩・烏帽子岩)」があると思われ、右上に「大久手宿(大湫宿)」と記述され、宿場集落が描かれています。

  中山道分間延絵図(大井宿)    中山道分間延絵図(細久手宿)