伊勢路見取図絵図

伊勢街道
伊勢街道は、日永の追分東海道から分岐して、伊勢湾沿いを南下し伊勢へと至る。その距離およそ十八里。日永の追分、白子、六軒、松坂、斎宮そして伊勢へのルートは近世にはほぼ固定され、幕府によって脇街道として整備された。
「伊勢に行きたい伊勢路が見たい、たとえ一生に一度でも」と伊勢音頭にも歌われ、多くの人々があこがれた伊勢参り。
 もともと伊勢神宮は皇祖神を祀る神社として、一般人は参拝することができなかったが、平安時代以降、天皇・貴族の権力が衰えると、武士そして庶民にも伊勢信仰が広がり、室町戦国時代ごろには庶民の伊勢参宮もかなり一般化していたという。
また「御師(おんし)」と呼ばれる人々が地方に赴いて布教活動を行い、各地で「(伊勢講)」と呼ばれる組織を作り、組織的に伊勢参りをすすめていった。
近世の伊勢参りではこの、「講」で資金を積み立て、その代表者が伊勢参りをする「本参り」が主流であったが、中には親や主人の許可なく抜け出して参宮する者もおり、これらは「抜け参り」と呼ばれた。抜け参りをした場合、主人らはこれをとがめることなく、帰ってきた場合はお祝いをして迎える習慣だったため、抜け参りは後を絶たなかったという。
また、江戸時代には、伊勢のお札が降った等の噂が発端となり、人々が一時期に集中して参宮に押し寄せる「おかげ参り」が50〜60年周期で流行した。時には500万人もの人々が熱狂的に伊勢を目指したのである。
このように、伊勢街道は江戸時代には東海道に次いで交通量が多いにぎやかな街道で、多くの物資や情報も行き交い、途中、東海道や伊勢別街道、伊賀街道等、多くの街道が合流(分岐)するため、伊勢国の幹線道路として、地元の人々にとっても重要な道であった。  (「伊勢街道の概要 – 三重の文化」より)

伊勢別街道
関宿東追分で東海道と分岐し、現在の津市芸濃町を通って南下、津の江戸橋で伊勢街道と合流するこの街道は、江戸時代には「いせみち」「参宮道」「山田道」などと記され、「伊勢別街道」の名が使われるようになったのは、明治10年以降であると思われる。
伊勢別街道の名は、四日市日永追分から伊勢にいたる伊勢街道の支道の意味で、街道の総距離はおよそ四里二六町。途中、楠原、椋本、窪田に宿場が設けられ、江戸時代には京都方面からの参宮客で賑わった。
椋本宿には約20軒の旅籠があり、現在でも各地の参宮講の講社札を掲げた旅宿も存在する。また、宿場の常としてたびたび大火に見舞われたため、街道を故意に屈曲させて防火の便をはかっている。
窪田宿においては30軒を越える家が近年まで屋号を持ち、昔は宿屋であったと言い伝えられている、3つの宿場以外の沿道では、茶屋などの施設が発達し、大古曽村の森などでは「茶屋町」の名が付けられ、何軒かの茶屋が軒を連ねていたとされる。
また、日本の政治の中心が大和にあった頃には、大和から伊賀を通って伊勢にいたる主要ルートでもあった。そのころの街道は、関で東海道と分岐したあと鈴鹿川を渡り、亀山市関町古厩から津市芸濃町椋本のあたりから安濃川に沿って南下するコースで、現在のように志登茂川に沿って豊久野を通るコースは、室町時代以降のことである。
このことは応永25年(1418)、将軍足利義持に随行した花山院長親の『耕雲紀行』の中に「とよく野二里はかり行はてて、くほたといふ里もすきて、うらちかくなる程…」と記されていることから明らかである。その後、室町将軍伊勢参宮の標準的コースとなった。
将軍だけでなく、一般の参宮道者も通ったとされるこの街道には、参宮講社の寄進によって作られた県内最大の常夜燈が現存し、往時を偲ばせる街道遺産となっている。  (「伊勢別街道」より)

江戸幕府でも道中奉行所が道路事情の調査を兼ねた大規模な道中図製作を行った。それが6年の歳月をかけて文化3年(1806年)に完成した『五街道其外分間延絵図並見取絵図』で、103巻の大部であり五街道及び付属街道・脇街道とその周辺情報が詳細かつ美麗に描かれて、全80巻にまとめられたものが東京国立博物館に所蔵されて重要文化財に指定されている。  (wikipedia・道中図より)

「五海道其外分間延絵図並見取絵図」は、江戸幕府が東海道、中山道甲州街道日光街道奥州街道五街道及びその主要な脇街道の実態を把握するために作成した絵図。道中奉行の直轄事業として寛政12年(1800)から7年の歳月を費やして完成した。  (「五海道其外分間延絵図並見取絵図 – 文化遺産オンライン」より)

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伊勢街道
伊勢路見取図絵図(伊勢街道・四日市)伊勢路見取図絵図(伊勢街道・鈴鹿市)伊勢路見取図絵図(伊勢街道・津市(町屋村))

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