絵地図初期設定画面に「島貫村(松阪市甚目町)」と記述されています。
絵地図初期設定画面に「肥留村(松阪市肥留町)」と記述され、その右、野道右に金剛寺、その上方向に宇気比神社が描かれ、絵地図右に「須川村(松阪市小野江町)」と記述され、記述左に小野江神社が描かれています。絵地図をスクロールすると雲出川渡渉(島貫村・須川村境界)が描かれ、「島貫村」と記述されています。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「雲出川 3巻 21p」
[雲出島貫の常夜燈
伊勢街道の雲出島貫の宿 は雲出川の渡しをひかえ、参宮客で賑わう宿であった。当時の絵図を見ると、街道の両側に民家や宿屋が建ち並び、水路があちこちで道を横切っており、中心部には、本陣、その近くには高札場があった。堤防下の毘沙門堂の境内には「島貫の松」(県の天然記念物に指定されていたが、伊勢湾台風後に枯れた。)があり、当時の旅人の目をなごませていた。江戸時代には、柏屋、魚屋、紀の国屋、大和屋などの旅籠があり、昭和の初めころまでは、津屋、京屋、大阪屋などが残っていたが、参宮鉄道が敷設されたころから、宿の灯りが徐々に消え、今は、本陣跡に「史蹟、明治天皇島貫御小休所址」の碑と常夜燈がひっそりと残るのみである。この常夜燈は、かつては渡し場口にあったもので、高さ4.6m、竿石には「奉献」「天保五年甲午三月建」と刻まれている。明和八年(1771)、天保元年(1830)などに、おかげ参りが全国的に流行し、その旅人の安全や神宮への祈願のために多くの常夜燈が建てられた。常夜燈は、一般には、夜道の安全を確保するために、一晚中、火をともしておく燈火のことで、とくに参宮道者のために建てられたものを「参宮常夜燈」という。この島貫の常夜燈もその一つで、当時の風情をしのばせている。 (「雲出島貫の常夜燈 – Monumento(モニュメント)」より)]
絵地図初期設定画面に「曽原村(松阪市曽原町)」と記述、その右上に月本追分(旧奈良街道)が描かれ、「中林村(松阪市中林町)」と記述、絵地図を右にスクロールすると「小村(松阪市嬉野小村町)」、「肥留村」と記述されています。
絵地図初期設定画面に三渡川(ミワタリガワ)三度橋[小津村・(松阪市六軒町)境界]が描かれ、「小津村(松阪市小津町)」、絵地図を右にスクロールすると「中道村(松阪市中道町)」、「曽原村」と記述されています。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「三度川 3巻 26p」
「機関的 3巻 27p」
[追分の六軒に旅籠群をひかえた市場庄は宿場ではないが、明治初年頃までの旅籠に椛屋伊助、泉屋久蔵、大坂屋治兵衛(だい治)、往来する旅人を相手にしたカラクリ的の遊戯屋に的屋林助、友吉があり、道中の土産に神楽笛、鶯笛、雲雀笛、土人形、サイコロや根付などの角細工も売られていたと言う。カラクリ的は、寛政9年(1797)の『伊勢参宮名所図会』に「機関的(からくりまと)」として絵入りにより紹介される。カラクリ的は街道筋の北方の大字中道にもあり、明治15年(1882)には一志郡長へ鑑札が申請されていて、営業されていたことがわかる(三雲庶民史)。ただしこれらの店や家が、今の家並のどのあたりになるのか、『だい治』のほかはわかっていない。町並みの各所には様々な屋号が伝えられ、今も日常の生活の中に生きているものも多い。生業による屋号が多く、幕末から明治前期に呼称しはじめられたと思われるものには、9丁目西の大せき(大工)、8丁目西の笛屋、鍛冶屋・かじげん、7丁目東の紺屋、7丁目西の合羽屋、6丁目西の草履屋、5丁目西の道具屋、4丁目東の箱屋、3丁目西の鍛冶屋などがある。また転入者の出身地から呼称される蛸路(たこじ)屋(松阪市)、阿坂屋(岡市)、殿村屋(岡市)、江戸屋などがあるほか、氏名の略称による大治(大阪屋治兵衛)もある。 (「伊勢街道市場庄の町並 – 日本財団 図書館」より)]
絵地図初期設定画面に「久米村(松阪市久米町)」と記述され、その下に久米村板橋が描かれ、その右方向街道内に市場庄村・久米村境界を示す赤丸印が描かれています。絵地図を右にスクロールすると「市場庄村(松阪市市場庄町)」と記述され、その右方向に米之庄神社、三度川三度橋が描かれています。
「忘井 3巻 27p」
[「忘れ井」は近世の地誌には必ず取り上げられていて、市場庄にあったとする『三国地志』、一志郡嬉野町宮古(みやこ)とする『伊勢国誌』『伊勢参宮名所図会(3巻 25p)』『勢陽五鈴遺響』などがある。ただし天仁元年(1108)は斎王の決められた年であり、斎宮群行のあった天永元年(1110)の書き誤りとされる(勢陽五鈴遺響)。『伊勢路見取絵図』には「忘井」と記して、山神の社と鳥居、石印が描かれる。
国文学からもこの和歌は、市場庄の「忘れ井」のものとされる場合が多い。 (「伊勢街道市場庄の町並 – 日本財団 図書館」より)]
絵地図初期設定画面に「舩江村(松阪市船江町)」と記述され、左下に浄泉寺、下に薬師寺が描かれ、絵地図右街道に百々川板橋(塚本村・船江村境界)が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「塚本村(松阪市塚本町)」と記述、その上方向に西福寺が描かれ、絵地図右端に「久米村」と記述されています。「塚本村」と「久米村」の間の街道横断水路が中川板橋になると思います。