絵地図初期設定画面に「松坂」と記述され、その右下に松坂城域、絵図中央右に阪内川板橋(大橋)が描かれています。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「松坂大橋 3巻 28p」
絵地図初期設定画面に「垣鼻村(松阪市垣鼻町)」と記述、絵地図右端に愛宕川板橋、そこの左・街道下に愛宕権現堂 龍泉寺、そこの左方向・街道上に松阪天神 菅相寺が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「松坂」と記述され、松坂宿中央の上方向に延びる道筋は若山街道になります。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「愛宕山 龍泉寺 3巻 29p」
絵地図初期設定画面に「下村(松阪市下村町)」と記述、絵地図右端の板橋が金剛川板橋(金剛橋)で、絵地図を右にスクロールすると、金剛川板橋から二番の水路が名古須川板橋(里中橋)になり、左上に信楽寺が描かれ、そこの右に「垣鼻村」と記述されています。
絵地図初期設定画面に「上川村(松阪市上川町)」と記述、その左下が仏名寺、左端に浄林寺、記述右下に上川神社が描かれ、絵地図を右端迄スクロールすると「下村」と記述されています。
絵地図初期設定画面に三村の入会(松阪市豊原町)と記述され、記述右に須賀神社、そこの右下方向に光応寺、願證寺が描かれ、絵地図を右にスクロールすると三村の入会と上川村の境界を示す赤丸印が街道内に描かれ、右端に「上川村」と記述されています。
絵地図初期設定画面に「早馬瀬村(松阪市早馬瀬町)」と記述、絵地図右に櫛田川渡し(三村の入会・早馬瀬村境界)が描かれ、対岸街道下に光蓮寺が描かれています。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「櫛田川 3巻 31p」
[『倭姫命世記』では倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行する際、この地で櫛を落とされたことから地名が櫛田と名付けたとされ、川名の由来ともなったのではないかとされる。なお、それから歴代の斎王は群行の際に櫛をこの川に捨て、神に仕える決心をしたという。 (wikipedia・櫛田川より)]
「神服織機殿 神麻続機殿 3巻 33p」
櫛田川下流右岸の大垣村(現大垣内町)に神服織機殿神社(かんはとりはたどのじんじゃ)、井口村(現井口中町)に神麻続機殿神社(かんおみはたどのじんじゃ)の二つの機殿神社があります。
絵地図初期設定画面に「竹川村(多気郡明和町竹川)」、「金剛坂村(多気郡明和町金剛坂)」と記述され、その間の街道内に金剛坂村(街道上の区域)と竹川村(街道下の区域)の境界、街道左端上と記述の右方向街道上に「金剛坂村」と「竹川村」の境界を示す赤丸印が描かれ、絵地図を右にスクロールすると祓川橋、その右街道内に稲木村・竹川村境界を示す赤丸印、赤丸印右に稲木村高札場が描かれ、「稲木村(松阪市稲木町)」と記述され、絵地図右端街道内に早馬瀬村・稲木村境界を示す赤丸印が描かれています。
「伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「稲置川 3巻 34p」
[稲置川は竹川(多気(たけ)川)または祓川(はらえがわ)ともいい、神宮神領の「近境」として中世までは斎王群行や勅使(天皇の使者)、神嘗祭例幣使参向の際、大神宮司の卜部がここで祓の儀式を行っていました。川には板橋が掛けられていますが、中央は船を浮かべた舟橋となっています。上流の橋杭は古来勅使一行が渡った再拝橋(幸橋)の跡で名所となっていました。川を渡る馬は背中に三宝荒神の鞍をつけており、橋を渡る女性二人と従者、右側から走り来る飛脚、対岸で草鞋を売る子供など、道中の様子が細かく描かれています。
※三宝荒神とは馬の鞍の両脇に枠を付け、三人乗りにしたもので、道中で参宮者を運ぶ馬稼ぎのこと。 (「伊勢への信仰 – せんぐう館」より)]