伊勢路見取図絵図(伊勢街道・伊勢山田)

絵地図初期設定画面中央左、街道に相会川土橋(相会川橋)が描かれ、絵地図を右端迄スクロールすると、右端に「新茶屋村」と記述され、街道中央左の街道上と、右の街道下に新茶屋村・小俣村境界を示す赤丸印が描かれています。

絵地図初期設定画面に「小俣村(伊勢市小俣町明野)」と記述され、左下端に汁谷川土橋(宮古橋)が描かれ、街道上鍵の手角が高札場になります。絵地図を右にスクロールすると外城田川土橋(惣之橋)、相会川土橋(相会川橋)が描かれています。

伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「小俣離宮院旧跡 3巻 42p

小俣 3巻 43p

絵地図左端中上に中川原が描かれ、絵地図を右にスクロールすると宮川東岸、宮川桜の渡し(小俣村・宇治山田境界)、汁谷川土橋(宮古橋)が描かれ、右端に「小俣村」と記述されています。

宮川東岸 4巻 4p

[参宮街道を歩いてきた参宮者は宮川を一旦船に乗って渡り、外宮の鳥居前町山田に入ります。水量の多い宮川には橋が無く、参宮者を巻き込んだ洪水の記録も多くみられますが、明治時代になってようやく架橋されました。江戸時代の川柳には「お伊勢さんほど大社はないが なぜに宮川橋がない」とうたわれています。この渡し船は「神宮様の御馳走船」といって、船賃は無料でした。また古くは斎王や勅使が川原祓をするのが習わしとなっており、一般の参宮者もここで禊をするのが慣例となっていました。図は山田側に上陸した参宮者を御師の手代が出迎える様子や参宮を終えた一行が乗船する姿、田楽を売る茶屋等、船着き場の賑わいが描かれています。  (「伊勢への信仰 – せんぐう館」より)]

中川原 4巻 6p

[中川原(な か が わ ら)(三重県伊勢市宮川町)
山田の町の玄関口として、御師(おんし)の手代(てだい)が参宮者を出迎える場所となっていました。片旅籠茶屋(かたはたごぢゃや)と呼ばれる施設では、御師や講の名、組頭の姓名が書かれた抬牌(しるし)(看板)が立てられており、参宮者の目印となっていました。その他、片旅籠茶屋は宿に困った参宮者の宿泊や御師を斡旋する仲介業など、現在でいう旅行案内所のような機能を持っていました。遙々(はるばる)諸国から無事到着して、御師と合流した参宮者は、ここからは御師の案内により安心して両宮の参拝へ向かうことになりました。  (「伊勢への信仰 – せんぐう館」より)]

絵地図初期設定画面左下に豊受大神宮別宮 月夜見宮、絵地図右端に筋向橋が描かれています。

絵地図初期設定画面左に勢田川板橋(小田橋)が描かれ、その右方向が岡本で、絵地図を右にスクロールすると「山田」と記述され豊受大神宮 (伊勢神宮 外宮)が描かれ、その下街道が鍵の手に描かれ、その下に豊受大神宮別宮 月夜見宮が描かれています。

山田 4巻 8p

左ページ下に月讀宮、高河原社、中程右に鍵の手道が描かれています。

外宮宮中之図 4巻 10p

[左ページ下に一ノ鳥居、右ページ下に清盛楠、上に小御門橋が描かれ、そこが北御門になると思います。]
[下宮宮中図の禰宜宿館・神庫のあるところは、現在は斉館となっています。明治以降、子良館などは忌火屋殿等に代わっているものの、図会にえがかれている通路は、現在の地図とほぼ同じです。玉串所の位置は、現在の地図では神楽殿になっており、玉串所にある五丈殿・九丈殿は、現在の地図では、神楽殿とは道路を挟んで位置しています。図会の下宮宮中図がかならずしも正しいとは限りません。そこには遷宮後の古殿地が描かれていません。省略したのでしょうか。
下宮の敷地で、現在のものと図会のものとの一番の違いは、正殿・宝殿を取り巻く垣で、前者は四重、後者では二重で玉串御門をふくむ塀が一番外側です。
止由気宮儀式帳では、瑞垣一重 玉垣二重 板垣一重となっています。  (「伊勢神宮を取り巻く神社群 内宮・下宮 伊勢参宮名所図会との …」より)]

外宮宮中之図其二 4巻 11p

[右ページ下に二ノ鳥居、上に正殿、左ページ中央に三ノ鳥居が描かれています。]
[絵の構図から、御正殿の建つ東の御敷地を描いたものと思われます。現在の宮域と比べると、正宮のすぐ脇を北御門からの参道が通っており、手水舎は御池の前にあり、御池を隔てた対岸には僧尼拝所が設けられています。また、外玉垣、板垣がなく参宮者が中重(斎庭)において座礼で参拝しています。また、正宮の周りには摂社・末社を勧請した 40 末社群がありました。正宮参拝を終えた参宮者は時計回りに末社群を参拝し、別宮へ向かいました。多賀宮遙拝所は「四所拝所」と表記されています。三石については「参宮の時、是を避けて踏まざるを習いとす」と説明されています。  (「伊勢への信仰 – せんぐう館」より)]

其三 高倉山 4巻 12p

[右ページ下に風の宮、土宮、中央に高宮(多賀宮)が描かれています。]

御贄川 小田の橋 4巻 32p

[外宮参拝を終えた参宮者は、岡本町から間の山を抜け内宮へ向かう途中、御贄川(おんべかわ)(現:勢田川)に架かる小田橋を渡ります。御贄とは神宮に献上する魚を捕っていたことに由来します。図を見ると、下流側にもう一つ橋が設けられています。これは仮屋橋と呼ばれ、神領では禁忌が厳格なため触穢(しょくえ)(家族に不幸があった)および月水の女性が通るためのものでした。仮屋とは古来、女性が月経や出産のときにこもった別屋のことをいいます。神宮の祭典に際しては、斎王や勅使が小田橋を渡ることから、別の橋が脇に架けられていました。仮屋橋には二人連れの女性と髪剃っている男性が見られますが、どちらも地元の人と見受けられます。  (「伊勢への信仰 – せんぐう館」より)]

  伊勢路見取図絵図(伊勢街道・明和町)  伊勢路見取図絵図(伊勢街道・伊勢宇治)