伊勢路見取図絵図(伊勢街道・津市(町屋村))

絵地図初期設定画面左端に田中川土橋(大蔵橋)、そこの右に鈴鹿道追分が描かれ、「大別保村」と記述され、その下方向に本福寺、さらにその下に尾前神社、尾前神社の右上に信光寺、その上に大別保村土橋が描かれています。絵地図を右にスクロールすると、中ノ川土橋(中ノ川橋)(磯山村・大別保村境界)、その右に磯山村の集落が描かれています。

絵地図初期設定画面に「上野村(津市河芸町上野)」と記述され、その上方向、街道下に上野村高札場、その上方向に伊勢上野城跡、城跡左方向、絵図左端に光勝寺、城跡右方向に円光寺、最勝寺、そこの右上に上野神社が描かれています。絵地図を右にスクロールすると田中川土橋(大蔵橋)、鈴鹿道追分が描かれています

絵地図初期設定画面に「中瀬村(津市河芸町中瀬)」と記述、絵地図を右にスクロールすると光勝寺、上野村集落が描かれています。

絵地図初期設定画面に「中山村(津市栗真中山町)」と記述、そこの右に大円寺、下に中山村高札場、絵地図右端に善行寺が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「小川村(津市栗真小川町)」と記述されています。

絵地図初期設定画面左に志登茂川と江戸橋が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「町屋村(津市栗真町屋町)」と記述され、その上街道曲点部下に常夜燈、その左に町屋村高札場が描かれ、絵地図右端に「中山村」と記述されています。

絵地図初期設定画面に「大部田村(津市上浜町)」と記述され、そこのT字が伊勢別街道との合流で、志登茂川と江戸橋が描かれ、絵地図を右にスクロールすると「町屋村」と記述されています。

伊勢参宮名所図会. 巻之1-5,附録 / [蔀関月] [画]」 – 「津江戸橋 3巻 13p

[参宮街道を南下してきた旅人は、江戸橋を渡り、三叉路に突き当たります。右へ折れれば京都へ続く道ですが、左へ曲がると津のまちに入ります。
ここには道標と安永6(1777)年に建立された常夜灯がありました。現在の道標は明治以降に建てられたものですが、常夜灯は当時のままです。橋やその周 辺も含め、現在もよくその景観を残していると言えるでしょう。なお、絵の上部には、三叉路を左へ折れた後の街並みの様子が描かれています。
道や橋の上には、旅人のほか、荷物を持った商人や馬、駕籠が往き来する様子も見て取れます。「江戸橋」の名は、藩主が参勤交代で江戸に赴く際に、この橋まで見送りにいくことから名付けられました。江戸橋は、津のまちの入口だったのです。  (「旅資料に描かれた津のまち – 三重大学図書館」より)]

      伊勢路見取図絵図(伊勢街道・鈴鹿市)    伊勢路見取図絵図(伊勢街道・津市(池田村))