「五海道其外分間延絵図並見取絵図」は江戸幕府が五街道及びその主要な脇街道の実態を把握するために作成した絵図で、道中奉行の直轄事業として寛政12年(1800)から7年の歳月を費やし、文化3年(1806)に完成した。その内の「加太越奈良道見取絵図」で描かれるルートは、「2巻之内1」で、関宿の西の追分で東海道から分岐して、加太峠を超えて、伊賀上野(伊賀市)、二本杭の山城国・伊賀国境界を抜けて山城国・大河原宿を経て、切山広畑で木津川を渡り、加茂宿に至る道筋が描かれ。「2巻之内2」では、加茂宿の隣村、里村から赤田川沿いに南下して梅谷村を抜け奈良に至り、奈良から暗越奈良街道で大和・河内の国境である暗峠を越えて大阪・平野川玉津橋に至る道筋が描かれています。
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