加太越奈良道見取絵図(大河原宿)

絵地図は相楽郡南山城村北大河原の月ヶ瀬付近になり、絵地図初期設定画面の右の横断水路が北大河原鶴辺沢(仮称)、絵地図を右にスクロールすると、次の横断水路が北大河原七尾鳥沢(仮称)になると思います。

絵地図初期設定画面「大河原宿(相楽郡南山城村北大河原)」と記述され、記述左に国津神社、春光寺が描かれ、そこの左下に山城谷川が描かれ、山城谷川右側木津川岸が大河原浜(上之先浜)(高瀬舟舟継場)になります。また、「大河原宿」記述右下に渋久川土橋が描かれ、その下に大河原宿本陣・問屋場・高札場が描かれ、絵地図をスクロール下先に三社託宣碑がることになります。
[大河原浜(上之先浜)の高瀬舟は長さ12m、幅2m程でこの浜から村で生産された木柴や木炭、信楽焼などが下流の笠置浜まで運ばれ、京都・大阪に運ばれました。帰りは大阪・京都からの品物が運び上げられ、伊賀や甲賀方面に馬で輸送されていきました。  (「[北大河原/石仏]かくれ地蔵(Stone Sign of Buddha)」より)]
[三社託宣碑はもともとすぐ裏側を通っていた大和街道にありました。1960(昭和35)年に新道が完成したことにともなってここに移されたのです。この旧道は今もすぐそこに残っています。元気のある方はどんな道だったか江戸時代にタイムスリップして歩かれることをおすすめします。コースは、下の写真(ストリートビュー画像)に見える小屋の前を左に曲がり、急坂を登り切った所を右に折れると旧街道に出ます。そこを左折するとあとは一本道、 約30 分で新道に出ます。新道を100m下ると三社託宣です。  (「[北大河原/石造物]三社託宣碑(Stone of Kami) – 村へ行こう」より)]

絵地図初期設定画面は北大河原中山付近の絵地図で、街道中央左に大河原宿・上有市村(相楽郡笠置町有市)境界を示す赤丸印が描かれています。

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