「駒形どぜう」店

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駒形どぜう
[「駒形どぜう」の創業は1801年。徳川11代将軍、徳川家斉公の時代です。初代越後屋助七は武蔵国(現埼玉県北葛飾郡)の出身で、18歳の時に江戸に出て奉公した後、浅草駒形にめし屋を開きました。当時から駒形は浅草寺にお参りする参詣ルートのメインストリートであり、また翌年の3月18日から浅草寺のご開帳が行われたこともあって、店は大勢のお客様で繁盛したと言います。初代が始めたどぜう鍋・どぜう汁に加え、二代目助七がくじら鍋を売り出すなど、商売はその後も順調に続きました。嘉永元年(1848年)に出された当時のグルメガイド『江戸名物酒飯手引草』には、当店の名が記されております。やがて時代は明治大正昭和と移り変わり、関東大震災第二次世界大戦では店の全焼という被害を受けます。しかし多くのお客様のご支援と先代の努力もあって、江戸の味と建物は現在の六代目へと引き継がれております。
のれんの由来
仮名遣いでは「どじょう」。もともとは「どぢやう」もしくは「どじやう」と書くのが正しい表記です。それを「どぜう」としたのは初代越後屋助七の発案です。文化3年(1806年)の江戸の大火によって店が類焼した際に、「どぢやう」の四文字では縁起が悪いと当時の有名な看板書き「撞木屋仙吉」に頼み込み、奇数文字の「どぜう」と書いてもらったのです。これが評判を呼んで店は繁盛。江戸末期には他の店も真似て、看板を「どぜう」に書き換えたといいます。 200余年の歴史を刻む、当店の大事なのれんです。(「駒形どぜう・歴史とこだわり」より)]

駒形どぜう 本店 (こまがたどじょう) – 浅草/どじょう [食べログ]

駒形どぜう 本店 – Google Map 画像リンク

カメラ西北西方向が駒形どぜうです。

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