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名倉医院
[ほねつぎといえば名倉、名倉といえばほねつぎの代名詞になるほど、往時の名倉医院は関東一円に知られ、下妻道に面し、日光道中や水戸街道分岐点を間近にして便がよかったから駕籠や大八車で運ばれて来る骨折患者がひしめいていたという。門前の広場は、これらの駕籠や大八車などの溜り場であった。名倉家は、秩父庄司畠山氏の出で享保年中(1716~)千住に移り、明和年間(1764~)に接骨医を開業したと伝わる。現在、江戸時代から昭和中期まで盛業時の医院の建物が保存されている。昭和59年12月区登録記念物(史跡)とした。 (千住名倉医院~『江東歳時記』~より)]
[名倉と言えば骨接ぎの代名詞として「千住の名倉」は、全国に知られています。名倉家は、名倉重直(1668年から1712年)が千住に移り住み、その4代後の名倉弥次兵衛直賢(1750年から1828年)が、骨接ぎを始めました。有名になったのは、7代目の弥一の頃からと言われ、最盛期の大正時代には1日の患者が300人から500人おり、夜が明けると旧道は骨折や脱臼の患者が戸板や籠の行列で埋まったと言われています。明治7年(1874年)、同16年に「医制」が制定された後も家業の伝統を受け継ぎ、整形外科医院として今も続いています。 (「足立観光ネット – 名倉医院」より)]
カメラ東方向が名倉医院です。