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宿場町通り
[荒川北岸部にあった足立郡千住村は古くから水上交通の要所とされ、戦国時代には享徳の乱で下総国を追われて武蔵国石浜城の拠点を移していた元の千葉氏嫡流(武蔵千葉氏)が支配していた。小田原征伐後、徳川家康が江戸城に移されると、文禄3年(1594年)に千住大橋が架けられると、急速に発展し、慶長2年(1597年)には人馬継立の地に指定されて千住町とされた。その後、寛永2年(1625年)に五街道の整備によって日光街道・奥州街道の初宿に指定され、地子免除の代わりに伝馬役・歩行役を負担することとなった。その後も町域は広がり、万治元年(1658年)に隣接する掃部宿・河原町・橋戸町が、その2年後には荒川対岸の豊島郡側の小塚原町・中村町が加宿された。元の千住宿は1-5丁目に分けられて本宿、最初に追加された3町は新宿、対岸の2町は南宿(下宿)と呼ばれ、幕末期には家は2400軒近く、人口も約1万人に達する江戸四宿最大の宿場町になった。 (wikipedia・千住宿より)]