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雷門
[941年、安房国の太守であった平公雅が、武蔵国への配置転換を祈願。翌年、配置転換の願いが叶ったことから、新天地での天下泰平と五穀豊穣を祈願し伽藍などの寄進を行った。初代の雷門に相当する門は、その際に造られたとされる。雷門の呼称は、江戸時代の川柳に初めて登場するが、それ以前のいつの段階から呼ばれるようになったかは不明である。知名度に関しては、雷門の名が書かれた提灯が1795年に初めて奉納されており、浮世絵の題材に用いられたことから、以降、日本各地へ浸透したものと考えられる。山門はしばしば火災により消失しており、江戸時代だけでも2度も建て替えられている。最後の火災は1865年であり、以後、100年近く恒久的な建築物としての山門は姿を消す。明治年間から太平洋戦争後にかけては、さまざまな形態の仮設の雷門が登場したと伝えられる。いずれも博覧会の開催や戦勝記念など、その時々のイベント的な要素が強く、素材は鉄骨やコンクリートなどの構造もあったほか、大きさもさまざまであった。1904年の日露戦争終結時には、凱旋門として雷門が建てられている。
1960年、松下電器産業(現パナソニック)の創設者、松下幸之助が病気だったころに浅草寺に拝んだ。そして、治ったためそのお礼として門及び大提灯を寄進し、現在の雷門が成立した。風神・雷神像は、江戸時代の頭部(火災により焼け残ったもの)に、明治時代に造られた胴体をつなげた物を引き続き使っている。
浅草寺雷門・wikipedia-photo
夜の浅草寺雷門・wikipedia-photo
雷門の背面、向かって左に「天龍」、右に「金龍」を安置・wikipedia-photo
ウィキメディアコモンズには、浅草寺(雷門)の画像またはその他のファイルが含まれています。 (wikipedia・雷門より)]
「浅草寺ホームページ」
浅草寺境内図
絵本江戸土産 – 金龍山其四 雷神門前廣小路 並木茶屋(拡大図)
絵本江戸土産 – 金龍山其三 雷神門(拡大図)
葛飾北斎作「浅草観音雷神門」(「葛飾 北斎 | 錦絵でたのしむ江戸の名所 – 国立国会図書館」より)
カメラ北方向が雷門です。
雷門内のカメラです。
雷門境内側のカメラです。