奥州街道(おうしゅうかいどう)とは、江戸時代の五街道の一つ。江戸日本橋または江戸城大手門を起点として千住から白河へと至る街道である。下野国宇都宮宿以南の区間は日光街道と共用されており、宇都宮宿伝馬町の追分で日光街道と分岐していた。
五街道としての奥州街道は正式には奥州道中といい、江戸幕府道中奉行の直轄下にあった白河以南を指し、道中には27の宿場が置かれた。江戸時代には江戸と陸奥国さらには蝦夷地間の物流が増加しており、白河はその中継地点として賑わい、奥州街道沿線では下野国宇都宮に次ぐ人口を擁するなど繁盛した。 (wikipedia・奥州街道より)
「五海道其外分間延絵図並見取絵図」は、江戸幕府が東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道の五街道及びその主要な脇街道の実態を把握するために作成した絵図。道中奉行の直轄事業として寛政12年(1800)から7年の歳月を費やして完成した。 (「五海道其外分間延絵図並見取絵図 – 文化遺産オンライン」より)
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