渡良瀬川の右岸に位置する梁田宿は戸数百余戸であったが川留めに備えて本陣が2軒、旅籠も32軒という中規模の宿場であった。幕末、幕府軍と官軍(薩・長・大垣連合軍)が東日本で最初に衝突した梁田戦争が(広義には戊辰戦争)あった場所で幕府軍が壊滅的な負け方をした地でもあった。 (「例幣使街道梁田宿」より)]
絵地図初期設定画面に渡良瀬川が描かれ、右上に「梁田宿(足利市梁田町)」、右上鍵の手角左に高札場が描かれ、その下に長福寺が描かれています。絵地図を右にスクロールすると「小生川村(足利市福富町)」と記述されています。
1875年(明治8年) – 塩島村・小生川村・南猿田村・神明村が合併して福富村となる。
絵地図初期設定画面に「川崎村(足利市川崎町) 奥戸村(足利市奥戸町) 入会」と記述され、絵地図を右にスクロールすると渡良瀬川の渡しが描かれています。