今市宿(いまいちじゅく)は、日光街道の20番目の宿駅(宿場町)である。現在の栃木県日光市今市。
今市宿は江戸時代に下野国都賀郡にあった宿場町。もと今村と呼ばれていたが宿駅となって住民が宿に集まって活況を呈し、定市が開かれるようになったことから今市宿となったと云われている。この宿は一街道の単なる一地方宿ではなく、日光街道のほか、壬生道、会津西街道、日光北街道などが集まる交通の要衝に立地する宿駅であった。
日光例幣使街道と日光街道の追分には地蔵堂がある。ここに安置されているのは像高2メートルの石造地蔵菩薩坐像である。もと空海(弘法大師)が大谷川含満ヶ淵(久次良町)の岸辺に建てた石仏と云われ、大水で流されて今市の河原に埋もれていたのをここに堂を建て安置したものと云われている。徳川吉宗が日光参詣した折、この地蔵が白幕で覆われているのを見て、後は白幕で覆わないよう命じ、この地蔵堂の後ろで朝鮮人参を育てさせたという。正確な造像時期は不明だが、室町時代頃の作と推定されている。
天保14年(1843年)の『日光道中宿村大概帳』によれば、今市宿の本陣は1軒、脇本陣1軒が設けられ、旅籠が21軒あり、宿内の家数は236軒、人口は1,122人であった。 (wikipedia・今市宿より)
絵地図初期設定画面左端の二又は日光例幣使街道の合流点です。絵地図を右にスクロールすると、右端手前に七本桜一里塚が描かれています。
絵地図初期設定画面右に「今市宿」と記述されています。絵地図を右にスクロールすると、上からの道が描かれています、これは間の道(会津古道)です。また、絵地図右端手前に二又が描かれています、上道が日光街道で、下道が日光例幣使街道です。
「木曽路名所図会. 巻之1-6 / 穐里籬島 編 ; 西邨中和 [画]」・「日光道 今市駅」( 6 巻- 41 )
絵地図を右にスクロールすると「瀬川村(日光市瀬川)」と記述され、その右方向に瀬川一里塚が描かれています。
絵地図を右にスクロールすると「野口村(日光市野口)」と記述されています。