草加宿(そうかしゅく)は、日光街道および奥州街道の2番目の宿駅(宿場町)である。
草加宿は、武蔵国足立郡にあった奥州街道および日光街道の宿場町の一つである。現在の埼玉県草加市中心部に相当する。宿場の位置は、現在の草加市役所の前に建つ地蔵堂付近から神明一丁目の草加六丁目橋付近までの、東京都道・埼玉県道49号足立越谷線(1937年(昭和12年)に新道として開通)の西にある「箪笥の取っ手状の道」となっている一帯である。「中川、綾瀬川、伝右衛門川、八条用水、葛西用水、谷古田用水などが南流する沖積低地上の海抜四メートル前後地」に位置した。江戸時代初頭に「千住・越ヶ谷両宿間の長距離人馬の継立回避を目的に奥州街道第二継の宿駅」とし、9ヵ村持ち立ての組合宿である。9ヵ村は、南草加村、北草加村、与左衛門新田、弥惣右衛門新田、谷古宇村、立野村、宿篠葉村、吉笹原村、原島村であった。 (wikipedia・草加宿より)]
絵地図初期設定画面に「瀬崎村(草加市瀬崎)」と記述されています。
絵地図初期設定画面左上に「草加宿」、その下街道に一~四丁目と記述されています。一丁目下に浅古家の地蔵堂が描かれ、そこが草加宿の南木戸になります。絵地図を右スクロールすると、中程右に草加一里塚が描かれています。その右方向川筋右上に瀬崎浅間神社が描かれています。一丁目と瀬崎浅間神社との間の一里塚は瀬崎浅間神社から 1/3 の位置に描かれています。
絵地図を右スクロールすると草加宿が描かれ、左端に伝右川(草加六丁目橋)が描かれています。伝右川左の川は綾瀬川になり、その間に甚左衛門堰があることになります。
絵地図初期設定画面右下に「金右衛門新田(草加市金明町)」、スクロールすると「久左衛門新田(現草加市旭町)」と記述されています。「金右衛門新田」左の川は綾瀬川で綾瀬川に架かる大橋土橋(現蒲生大橋)左に蒲生の一里塚が描かれています。