三島宿 高札場

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第四 三嶋ヨリ江尻マデ」(コマ番号3/24)
絵図右方向にスクロールすると、右端に「大明神」と記述され、その下に「三嶋札辻」と記述され、鳥居未左に高札場が描かれています。

  
高札場
[江戸時代には情報伝達の大切なものとして高札がありました。三島宿では三嶋大社入口鳥居の左側と二日町に高札場があり、法度(はっと)(おきて、禁制)などを板書きし人目につきやすいように掲げてありました。高札の造りは寸法が定められており、板札に書かれたものを幕府の役人から交付され、それを掲げたのです。内容は親孝行すべきこと、切支丹(きりしたん)禁制、宿駄賃銭(しゅくだちんせん)、火つけ人についてなど、さまざまにわたっていました。
 また、幕府や役所の禁制や重罪人の捜索など、単独で人目につきやすい辻に立てる辻札(つじふだ)もありました。
 この高札も辻札も、明治6年(1873)禁教(宗教、特にキリシタンの信仰を禁ずること)令撤廃とともに姿を消すことになりました。  (「三島宿 – 三島市」より)]

カメラ位置は三嶋大社入口鳥居前で、カメラ北西方向、現在大社の案内板がある辺りに高札場があったと思われます。