三枚橋

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号5/14)
絵図右に三枚橋が描かれています。

  
三枚橋
[「山崎ノ古戦場」の石碑を過ぎると山崎の切通しとなる。しかし当時は切通しではなく、相当な急坂であったようだ。 この坂を越えると三枚橋。東海道はここで左折し橋を越えて行くことになるが、この場所は、直進して箱根の温泉場へと向かう「七湯道」との分岐点でもある。箱根には江戸初期から湯本・塔之澤・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯という七つの湯治場の存在が確認されている。
 湯治を目的に箱根を訪れる人々はここで東海道と別れ「七湯道」を行く。  (「箱根宿1 – 関東地方整備局」より)]

[早川にかかる橋になる。北条氏時代は川幅が広く2つの中洲があって3つの橋が架けられており、順番に地獄橋、極楽橋、三昧橋と言い、渡ったところに早雲寺の総門がありどんな罪人も寺に逃げ込めば罪を免れると言われ、極楽橋まで渡ると追手も追わず助かったと言う。江戸後期の記録では長さ22間(40m)幅1丈(3m)の土橋がかかっていたとのことだ。  (「小田原~箱根 – 三枚橋(東海道 – 「人力」とは – 旧街道 …」より)]

三枚橋上のカメラです。