マーカーは兜石です。
「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号10/14)
絵図中央に「此遍ん かれき坂と云」と記述され、右下に「一里塚 京から九十五里 江戸から二十五里」の記述されていますが「一里塚」の記述は間違いのようです。接待茶屋一里塚は京から九十四里 江戸から二十六里で、絵図右スクロールした「此遍ん 石原坂」の右方向になります。「石原坂」の右には「伊豆 相模 堺」、「池」と記述され、芦ノ湖が描かれています。また、wikipedia・東海道の一里塚一覧では「江戸から二十五里の一里塚」は「なし」になっています。

兜石
[【かぶと石】
『この石は兜を伏せたような形をしていることからかぶと石いわれている。また、別の説として傍の碑銘によれば豊臣秀吉が小田原征服のとき休息した際、兜をこの石の上に置いたことからかぶと石とよばれるようになったともいわれている。
この石は兜石(甲石)坂にあったものを昭和初め国道一号線の拡幅工事のときにこの地に移したものである。
平成九年十月 三島市教育委員会』 (「旧東海道13回目(箱根東坂)」より)]
[山中の集落を出て箱根峠の頂を目指す。約720mに渡って延びる願合寺地区の石畳から、小枯木坂・大枯木坂を登り、次に続く石割坂(石原坂・石荒坂)を登りきったところが、箱根峠を往来する旅人や馬の救済にあたった接待茶屋跡。隣接して山中一里塚が現存しているが、接待茶屋こそ今は無い。ここから”かぶと石坂”を登りきれば、かつてイバラが生い茂る草原だった茨ヶ平で、間もなく箱根峠の頂に着く。 (「箱根旧街道 小枯木坂・大枯木坂・石割坂・かぶと石坂・箱根峠」より)]
兜石及び案内板(Google Map 画像)
兜石(Google Map 画像)