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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号14/19)
絵図右方向にスクロールすると、絵図中央付近に「六社明神」と記述されています。

六所神社 (大磯町)
[六所神社(ろくしょじんじゃ)は、神奈川県中郡大磯町国府本郷にある神社。相模国総社で、旧社格は郷社。
毎年5月5日に往古神領の神揃山(神集山)で国府祭(こうのまち)を催行し、相模国の一宮から四宮および平塚八幡宮(五宮格)の神輿渡御を受ける。
祭神
当地に元々あった柳田大明神社に、相模国の一宮から四宮まで、および五宮格の平塚八幡宮の祭神を合祀しており、六社の神を祀ることから「六所神社」という。
●柳田大明神 — 櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊
●一宮:寒川神社祭神
●二宮:川勾神社祭神
●三宮:比々多神社祭神
●四宮:前鳥神社祭神
●平塚八幡宮祭神
歴史
崇神天皇の時代、出雲国(現在の島根県東部)より移住しこの地を開墾した人々は、この地を柳田郷と名附け、出雲の祖神である櫛稲田姫命・須佐之男命・大己貴尊を祀って「柳田大明神」と称し、現在地より北西1kmの石上台(伊勢神台)に社殿を築いた。『六所明神之縁起』によれば、創建の年は崇神天皇甲申年と伝えられる。
養老2年(718年)元正天皇より国司に対し、勅を以って当社を相模国の神祇の中心として総社に定めるという宣下がなされ、これにより同年閏4月8日に現在地へ遷座した。平安時代には国府に近い当社に国内有力5社の祭神の分霊を勧請し、国府六所宮とも称されるようになった。また社伝によれば、天応元年(781年)5月5日の早良親王夷賊征討に際し退攘祈願が行われたとしている。
天正19年(1591年)徳川家康より御朱印状が下され、御朱印地50石が寄進された。『六所明神之縁起』によれば、以後代々の将軍家からも寄進を受けたと言う。『新編相模国風土記稿 巻之40』によれば、正保4年(1647年)4月に府中祭礼における狼藉や喧嘩の禁止、社殿修築における百姓の助成などを定めた制札が江戸幕府より出され、保護を受けている。
鳥居・wikipedia-photo
神揃山(道路の突き当りに見えるのが国府祭で座問答神事が行われる神揃山。馬場公園付近より撮影。)・wikipedia-photo
拝殿・wikipedia-photo
本殿(造営当時は全体が朱塗りであった。相模五社の神々を祭るため5つの扉がある。『快元僧都記』によれば天文9年(1540年)鶴岡八幡宮造営の参考にするため当社棟札を持ち出したと言い、平成の修築では棟札が見つけられなかった。)・wikipedia-photo
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六所神社 大鳥居前のカメラです。
六所神社境内参道前のカメラです。
六所神社拝殿前のカメラです。