化粧坂の一里塚・旧東海道の松並木

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号12/19)
絵図を右スクロールしすると「一里塚」と記述されています。

  
化粧坂の一里塚
[旅人の旅程の目安となり、江戸日本橋より16里の所に日陰げで風よけなどで小休息の場となる。高さ約3m、塚上の海側に榎を山側にせんだんを植えた。]
(Google Map 画像)

東海道松並木
[別荘地となる以前の大磯は、宿場町として栄えてきました。
慶長5年(1600)の関が原の合戦に勝利をおさめた徳川家康は、慶長6年には東海道宿駅の制度を設け、その整備を行っています。 次いで慶長9年には36町を1里(約3.9キロメートル)として一里塚をつくり、街道筋にはマツやエノキなどが植えられました。
大磯町内の化粧坂や中丸にあった一里塚、山王町の旧道、大磯中学校前、中丸付近の松並木はこの時に整備されたものです。一里塚や松並木は旅人の休息の場となり、旅程の目安にもなる大切なものでした。  (「東海道松並木/大磯町ホームページ」より)]

広重画『東海道五十三次之内(行書東海道)大磯』(wikipedia-photo)

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カメラ西南西方向に化粧坂の一里塚案内板があります。ここから南西方向が化粧坂で旧東海道の松並木が残ります。