大磯中学校前東海道松並木(明治記念大磯邸園)

ストリートビューの初期設定位置は大磯中学校前東海道松並木東端です。
地図上のアイコン上でマウスクリックし、アイコン移動すると、移動アイコン位置にストリートビューが存在すれば地図下のストリートビュー画面が、その位置のストリートビューに表示変更されます。また、ストリートビュー画面で移動すると地図上のアイコンも移動します。

国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号13/19)
絵図右方向にスクロールすると、右端に「大磯 札辻」と記述され、その左方向に松並木が描かれています。

  
東海道松並木
[別荘地となる以前の大磯は、宿場町として栄えてきました。
慶長5年(1600)の関が原の合戦に勝利をおさめた徳川家康は、慶長6年には東海道宿駅の制度を設け、その整備を行っています。 次いで慶長9年には36町を1里(約3.9キロメートル)として一里塚をつくり、街道筋にはマツやエノキなどが植えられました。
大磯町内の化粧坂や中丸にあった一里塚、山王町の旧道、大磯中学校前、中丸付近の松並木はこの時に整備されたものです。一里塚や松並木は旅人の休息の場となり、旅程の目安にもなる大切なものでした。  (「東海道松並木/大磯町ホームページ」より)]

広重画『東海道五十三次之内(行書東海道)大磯』(wikipedia-photo)

明治記念大磯邸園
[大磯町には、明治期、我が国の近代化の歩みとして重要な取組である立憲政治の確立などに貢献した先人の多くが邸宅や別荘を構えていました。
 近年、この地の別荘等の多くが老朽化し、マンションに建替えられたり敷地の一部が売却されるなど開発により失われつつある邸園(邸宅と庭園)を貴重な歴史的遺産として保存・活用されることが求められています。
 平成30年(2018)が明治改元後150年に当たることをきっかけに、明治以降の近代化に功績のあった先人達の歩みを次世代に遺すため、明治150年施策の一環として、この地に「明治記念大磯邸園」の整備を進めることとしました。
 本邸園は、伊藤博文大隈重信西園寺公望陸奥宗光という立憲政治の確立等に重要な役割を果たした人物にゆかりのある邸宅等が集中する稀有な場所となっています。  (「明治記念大磯邸園【公式】」より)]

東海道松並木 – Google Map 画像リンク

カメラ位置は大磯中学校前東海道松並木東端です。

カメラ位置は明治記念大磯邸園前です。

カメラ位置は大磯中学校前東海道松並木西端・滄浪閣交差点です。