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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号12/19)
絵図左下「妙うれん寺(妙輪寺)」と「志ふく寺(地福寺)」の間が大磯宿小島本陣になります。

大磯宿本陣
[宿場で参勤交代の大小名や公用の幕府役人、勅使、公家、宮門跡などが旅の宿泊に用いる 大旅館を本陣という。
本来本陣とは、軍陣における総大将のいる本営であるが、大名旅行も軍陣に見立てて 此の名称が用いられた。
享和3年(1803)大磯宿には小嶋、尾上、石井の三箇所に本陣があり、その建坪は 夫々246,238,235坪であった。
本陣の建物は平屋造りで多くの座敷、板の間、土間などがあり、奥には大名の寝所となる 床の間との違い棚のある書院造りの御上段の間があり、その前には庭園がある。大名と側近は 本陣に泊まるが、その他の者は宿内の旅籠に泊まる。大行列の場合は隣の宿まで使用しなければ ならなかった。
尾上本陣は小嶋本陣の西隣に置かれていた。石井本陣は東海道に面した尾上本陣の筋向いの 現在の大内館(旅館)の場所にあった。
これ等の本陣は天保7年(1836)の大磯の大火で焼失した。再建されたが建坪は縮小している。 後慶応元年(1865)の書状によれば、ほぼ享和の姿に戻ったとあり、本陣の経営の 並々ならぬ努力が偲ばれる。
小島本陣付近にある『本陣』説明より (「大磯宿 尾上本陣(名右衛門)」より)]
大磯宿小島本陣案内板(Google Map 画像)
歌川広重『東海道五十三次(狂歌入東海道)大磯』 「うかれ女の 真心よりぞ うそぶける とらといふ名は いしに残れり 富有亭満成」(Wikimedia Commons)
カメラ西方向に大磯宿小島本陣案内板があります。