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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号17/19)
絵図右方向にスクロールすると、絵図中央に「一里塚 京から百一里 江戸から十九里」と記述されています。

小八幡一里塚跡
[このあたりは、旧東海道に設置された江戸から19番目の一里塚があった場所である。
慶長9年(1604)江戸幕府将軍徳川家康は、息子秀忠に命じて、東海道、東山道、北陸道に、江戸日本橋を起点として 一里(36町・約4キロ)ごとに塚を造らせた。塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル) 四方であった。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とするとともに、夏季における木陰の休息場所とした。
小八幡の一里塚について、天保年中の相模国風土記稿に「東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、塚上に松樹 あり上は小田原宿入口一里塚、下は淘綾郡山西村小名梅沢の一里塚に続けり」とある。
『小八幡一里塚』説明より (「小八幡一里塚(名右衛門)」より)]
小八幡一里塚跡案内板(Google Map 画像)
カメラ南東方向に小八幡一里塚跡案内板があります。