小田原宿 万町標石

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号19/19)
絵図右方向下鍵の手角左方向が万町になります。

小田原宿 万町標石
[万町(よろっちょう)
 この町は、藩主稲葉氏の「永代日記」、承応 3 年(1654)の記事に初めて町名が見られます。町名は、古くから「よろっちょう」とよばれていました。
 町内には、藩主帰城のときの藩御用町人の出迎え揚があったほか、「七里役所」という紀州(和歌山)藩の飛脚継立所がありました。江戸時代末期には、旅篭(はたご)が 5 件ほどあり、城下に 2 軒あった小田原ちょうちんづくりの家の 1 軒がありました。
 なお、天保初期(1830 年代)、町内の戸数は 105 軒でした。  (「城下町・宿場町 おだわらの町名・地名 町人地 – 小田原市」より)]

万町標石 google map 画像リンク

万町標石前のカメラです。