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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号19/19)
絵図右方向上鍵の手角が新宿町になります。

新宿町(しんしくちょう)
[江戸時代前期、この町は、城の大手口の変更によって東海道が北寄りに付けかえられた時にできた新町です。町は城下の出入り口である「山王口」に接していたので、藩主帰城の時の出迎え場所であったほか、郷宿(ごうやど:公用で藩御所などへ出向く村人が泊まる宿屋)や茶店が並び、城下に 2 軒あった小田原町ちょうちんづくりの家のうち 1 軒がありました。
この町の名の初出は、正保 2 年(1645)の藩主稲葉氏の「自分日記」に『新宿足軽小屋』、『新宿通町御藩所』などとあります。
このように、早くから城下の東の出入り口であることを示しています。
天保初期(1830 年代)、町内の戸数は 124 軒でした。 (「城下町・宿場町 おだわらの町名・地名 町人地 – 小田原市」より)]
カメラ北北東方向バス停留所右に小田原宿 新宿町標石があります。