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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号11/19)

平塚宿本陣旧跡
[平塚宿加藤本陣注釈-3の場合は、表門と勝手住居の一部が街道に接し、間口の中央に位置する大板間と勝手土間が街道より数間後退し、荷物の積み卸し等の便宜が計られるように造られた「広場型」本陣に該当するといわれ、天保十四年(1843)当時建坪163坪だった。
本陣は代々加藤七郎兵衛を名乗り、建坪163坪と他宿の本陣より小規模であったことから、主として宿泊より小休のために利用されたと考えられる。
注釈-3: 本陣
街道宿駅において参勤交代の大小名のほか、勅使、宮門跡、公卿、公用幕府役人などが休泊する大旅館を特に本陣と云った。
もともと本陣は、天皇が朝覲行幸などをする際に、その行列の中心である天皇が乗る車や輿(鳳輦)を囲む一陣を云った。それが後に、軍陣の中核、総大将のいる本営を意味したが、江戸時代には大名の宿陣の謂れから転じて道中休泊の中心となる民営の宿屋をさすようになった。 (「東海道散歩: 平塚宿 – 事事関心!」より)]
平塚宿本陣旧跡案内板(Google Map 画像)
カメラ北北東方向に平塚宿本陣旧跡の標柱、その左方向神奈川銀行平塚支店前に平塚宿本陣旧跡碑があります。