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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号11/19)
絵図右方向「平塚 札辻」が平塚宿高札場になります。

平塚宿高札場跡
[平塚宿高札場注釈-2は、宿内二拾四軒町にあり、その規模は高さ一丈一尺(約3m)、長さ二間半(約5m)、横一間(1.8m)で、通常、土台部分を石垣で固め、その上を柵で囲み、高札が掲げられる部分には風雨を避けるための屋根が作られていた。 県内東海道の高札場は、箱根宿を除く八つの宿場すべてが江戸から京都に向かっていずれも右側に高札場が設置されていた。
注釈-2: 高札場
幕府や領主の最も基本的な法令書き記した「木の札」(=高札)を掲示した施設を云う。
その高札の内容は、平塚宿から大磯宿までの公定運賃を定めた「定」のほか、切支丹禁制、徒党禁止、毒薬並似セ薬種売買禁制、鉄砲使用禁止の各「定」など十種類であったことが知られている。 また、その維持・管理と修復は、幕府が費用を負担する「御普請所」とされていた。 (「東海道散歩: 平塚宿 – 事事関心!」より)]
(Google Map 画像)
カメラ北西方向が平塚宿高札場跡碑と案内板です。