押切坂一里塚

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号15/19)
絵図に、「一里塚 江戸から十八里 京から百二里」と記述されています。

押切坂一里塚
[慶長9年(1604)江戸幕府徳川家康は、息子秀忠に命じ、東海道東山道北陸道の三街道に、江戸日本橋を 起点として一里(約4キロメートル)ごとに塚を築かせ、交通の円滑化を図りました。
 一里塚は、大名参勤交代や旅人の道程の目安、馬や籠などの運賃の目安であると同時に、塚の上にある大木は、 夏は木陰をつくり、冬は寒風を防いで、格好の休憩所にもなりました。
 ここ二宮の一里塚は、江戸日本橋から18番目の一里塚で、大磯宿小田原宿の中間に位置しています。塚は街道を 挟んで両側に築かれ、北側の塚は、高さ一丈(約3.3メートル)、上には(えのき)が植えられていました。 周辺には、旅人目当ての茶屋や商店が軒を並べ、「梅沢の立場」と呼ばれて、大変賑わっていました。
『押切坂一里塚』説明より  (「押切坂一里塚(名右衛門)」より)]

押切坂一里塚案内碑(Google Map 画像)

押切坂一里塚 – Google Map 画像リンク

カメラ北北西方向に押切坂一里塚の標柱と案内碑があります。