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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号4/14)
絵図右方向にスクロールすると中央付近に「日蓮宗 妙福寺」と記述されています。

日蓮聖人霊(妙福寺)跡
[御塔生福寺は、日蓮聖人が文永6年(1269)甲州遊化の帰路、象鼻に似た巨石の上に立ち、両親の菩提を弔うために宝塔を建立、その地に九老僧朗慶が元享2年(1322)御塔妙福寺と号して甲州に創建、明治45年当地(小田原市板橋771)にあった蓮生寺を合寺し、御塔生福寺と改称したといいます。
●「日蓮宗寺院大鑑」による御塔生福寺の縁起
文永6(1269)年、宗祖が甲州遊化の帰路、象鼻に似た巨石の上に立って房州の地を望み宝塔を建て、両親の菩提を弔った。里人は「お塔のふた親さん」と呼んで尊崇。その地に元享2(1322)年4月、九老僧朗慶が一宇を建てて御塔妙福寺と称した。
2世日法は3年在住し、聖像を彫刻し安置、今にこれを伝えている。48世本時院日儀の代、明治45年4月、富士山363番地より大窪村蓮生寺(現在地・開山蓮生院日周・平賀本土寺末)を合併移転し、御塔御塔生福寺と改称。(「日蓮宗寺院大鑑」より) (「御塔生福寺。小田原市板橋にある日蓮宗寺院 – 猫の足あと」より)]
「民衆を愛した日蓮聖人が両親に祈りをささげた象ケ鼻の霊跡(小田原市)」
カメラ位置は箱根登山鉄道/旧東海道踏切で、カメラ東北東方向に日蓮聖人霊跡案内板があります。