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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号7/14)
絵図右の「はた」と記述の場所が「畑宿村」で、そこの右の凹の道が大澤坂になると思います。

旧東海道(箱根旧街道)大澤坂
[県道に合流して左カーブしている途中に、左に下りる石畳があり、入口に『国指定史跡 箱根旧街道』の標柱が立っている。
この石畳は、湿っているのみならず急な下り坂で、滑り易かった為、大変怖い思いをして下りた。下り切った所が大沢川で、板橋が架けられていた。
板橋を渡ると登りの石畳になり、右側には大澤坂の石碑と説明板が立っている。石碑には『大澤坂 登リ三町餘』と刻まれていた。
【大澤坂】
大沢川を渡ったところです。
幕末の下田奉行小笠原長保の「甲申旅日記」に、「大沢坂又は坐頭転ばしともいうとぞ、このあたり、つつじ盛んにて趣殊によし」 と書かれています。
当時の石畳の道が、一番残っている坂で、苔むした石畳は往時をしのばせてくれます。 (「旧東海道12回目(箱根東坂)」より)]
『五十三次名所図会 十一 箱根 山中夜行の図』 (Wikimedia Commons)
[「竪絵東海道」と呼ばれる、初代広重晩年の揃物の1枚です。竪という構図上、石畳道がより急峻に感じられます。箱根東坂のうち、須雲川を左手に見ながら登る場所は限られており、須雲川の集落から畑宿の間のわずかな場所しかありません。 (「五十三次名所図会十一 はこね山中夜行の図 文化遺産オンライン」より)]
カメラ南南東方向に標柱『国指定史跡 箱根旧街道』があります。
大澤坂碑(Google Map 画像)