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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号10/14)
絵図を右にスクロールすると、「伊豆 相模 堺」と記述され、その右に「池」と記述され、芦ノ湖が描かれています。

旧東海道(箱根旧街道)挟石坂
[箱根関所から箱根宿へと歩を進める。宿を抜けたところに十二基の石仏・石塔が集まっている。この辺りから道は再び石畳となる。「向坂」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」「挟石坂」と続き、国道一号に合流するとほどなく神奈川・静岡の県境、江戸時代は相模・伊豆の国境であった箱根峠へと至る。 (「箱根宿2 – 関東地方整備局」より)]
[石仏群の直ぐ先でいよいよ箱根旧街道の急坂が始まる。最初に現れるのが向坂で、石畳道を上り始めると直ぐ石標と説明板が立っている。
【向坂】
『芦ノ湖湖畔の箱根宿を過ぎますと、再び山にさしかかります。
この坂が向坂です。
坂の入口に石仏群があり、往時の杉並木も石畳も残っていて、味わい深い坂です。』
5分上ると国道下の小さなトンネル(※富士見橋)をくぐる。このトンネルの前後が赤石坂の石畳。
【赤石坂】
『国道1号を挟んで両側に石畳と杉並木が残っています。
道を下れば旧箱根宿の一つであった芦川の集落に、道を上れば相模の国と伊豆の国を分ける箱根峠に達します。』
更に5分程登ると釜石坂になる。
【釜石坂】
『この坂道に残る杉並木は、芦ノ湖畔のドンキン地区・吾妻嶽地区、箱根関所付近の新谷地区と並んで、箱根旧街道に現存する江戸時代の杉並木です。四つの地区を合わせて、約四二〇本の老杉が残っています。』
左カーブして風越坂。
【風越坂】
『江戸時代の延宝八(1680)年、箱根旧街道に石畳が敷かれました。当時、石畳が敷かれた場所は、坂道だけで、集落の中や平坦な所には、石畳は敷かれませんでした。』
風越坂の先で階段になり、これを46段上って、更に挟石坂の階段へと続いて行く。国道へ出る手前の最後の挟石坂は急階段で本当にきつかった。
【挟石坂】
『箱根峠にかかる坂です。
峠は当時の浮世絵をみますと、伊豆の国を分ける標柱と、ゴロゴロした石、それに一面のカヤしか描かれていません。まことに荒涼たる峠でした。
三島宿までは、ここからさらに四里(一六キロ)近く、こわめし坂、自転坂などの難所が続きます。』
国道に上った所に、箱根旧街道の説明板が標柱と共に立っている。
【箱根旧街道】 国指定史跡
『江戸幕府は、延宝八年(1680)箱根旧街道に石を敷き並べました。この先から約四〇〇メートルは、その面影を残しており、国の史跡に指定されていて、箱根関所への近道ともなっています。
昭和五十二年三月 箱根町教育委員会』 (「旧東海道12回目(箱根東坂)」より)]
[風越臺 – 國堺のほとりの名也左右並木老杉多しこれより箱根驛まで十八町也釜石坂。赤石坂を過て心坂(※向坂)の南の方に山神のやしろあり箱根の宿の入口を蘆川町といふこヽに駒形権現祠(※箱根駒形神社)あり惣じて此山路の左右みな篠竹(※メダケ)にして自然と繁茂せりこれを刈りて京都に登し煙管の羅宇に用ゆ性堅くして佳也箱根竹とて名産なり 東海道名所図会]
芦川の石仏群・向坂(Google Map 画像)
向坂案内板(Google Map 画像)
赤石坂案内板(Google Map 画像)
富士見橋(Google Map 画像)
カメラ位置は富士見橋上で、橋下に旧東海道の石畳があります。
釜石坂案内板(Google Map 画像)
風越坂案内板(Google Map 画像)
カメラ位置は挟石坂の国道口です。
箱根旧街道案内板(Google Map 画像)
挟石坂案内板(Google Map 画像)