旧東海道(箱根旧街道)追込坂口

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号8/14)
絵図右にスクロールし、絵図中央下に「此所 をいだしと云」と記述されています。

  
旧東海道(箱根旧街道)追込坂
[西海子坂を過ぎると再び県道に合流するが、この辺りは現在「七曲り」と呼ばれ、きついカーブが続く。江戸時代の道は、ここをほぼ直登するルートとなっており、上り坂の苦しさに「どんぐりほどの涙こぼるる」といわれた「樫木坂」という難所となる。
「猿滑り坂」「追込坂」と続く急坂を上るとようやく平坦な場所へ出て、一息つくことができる。江戸時代からこの場所には甘酒小屋があった。 ​  (「箱根宿2 – 関東地方整備局」より)]

[県道に下りて、少し進んだ所に再び須雲川自然探勝歩道の地図が立っている。
 その先、右へ木組みの十数段の階段があり、上り口に追込坂の説明板と石碑が建っている。石碑には『追込坂ニ町半餘』と刻まれていた。
【追込坂】
 「新編相模国風土記稿」のふりがな(万葉がな)とみると、フッコミ坂といったのかもしれません。甘酒茶屋までのゆるい坂道の名です。
この石碑の左隣の広場は笈の平(おいのたいら)と呼ばれ、親鸞上人の大きな石碑と歌碑が建っている。
 石碑には『笈平 親鸞聖人御旧跡 性信御坊決別之地』と大きく刻まれていた。
【十二、親鸞上人と笈ノ平】
 東国の教化を終えての帰路、四人の弟子と上人が険しい箱根路を登ってこの地に来たとき、上人は弟子の性信房と蓮位房に向かい、「師弟打ちつれて上洛した後は、たれが東国の門徒を導くのか心配であるから、御房がこれから立ち戻って教化してもらいたい」と頼み、師弟の悲しい別れをした場所と伝えられています。
上記説明文の隣に建つ『親鸞聖人詠歌』には崩し字で、次の様に刻まれている。
 病むるをば あずけて帰る 旅の空
  心は ここに 残りこそすれ  (「旧東海道12回目(箱根東坂)」より)]

旧東海道(箱根旧街道)追込坂

カメラ北方向が旧東海道(箱根旧街道)追込坂になります。坂左に碑があります。また、その碑左に笈の平碑があります。

追込坂案内板(Google Map 画像)

笈の平碑・案内板(Google Map 画像)

笈の平案内板(Google Map 画像)