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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号8/14)
絵図右にスクロールし、絵図中央下に「此所 をいだしと云」と記述され、そこの左に「此遍ん 白水と云」と記述されています。甘酒茶屋はこの間にあることになると思います。

甘酒茶屋・箱根旧街道資料館
[「猿滑り坂」「追込坂」と続く急坂を上るとようやく平坦な場所へ出て、一息つくことができる。江戸時代からこの場所には甘酒小屋があった。
甘酒茶屋
江戸時代から続く街道の茶屋で、甘酒と餅が名物。
箱根旧街道資料館
甘酒茶屋の隣にある芽葺きの農家風の建物。江戸時代の旅の風俗などを紹介している。 (「箱根宿2 – 関東地方整備局」より)]
甘酒茶屋
[甘酒茶屋(あまざけぢゃや)は、神奈川県箱根町にある茶屋、飲食店。
東海道の難所、箱根山の中腹にある400年の伝統を持つ茶店。畑宿と箱根宿の中間付近で、江戸時代は箱根の関所を前にした休憩所として、現代は箱根を歩くハイカーの休憩所として親しまれている。現在の店は神奈川県道732号湯本元箱根線(旧国道1号)の脇に建つが、店の前の道路は過去の街道と同じ線形という。忠臣蔵の芝居の神崎与五郎詫証文の舞台となる茶店であり、旅行経験のない江戸市民にも高い知名度を誇っていた。建物自体は、地震や火災により被害を受け、そのつど立て直しが行われている。現在の建物は2009年に改装したもので、茅葺き屋根や土間など昔の雰囲気を持たせつつ、囲炉裏(いろり)や座敷などを増設する改修が行われたもの。
名物
甘酒、力餅など。特に甘酒は、江戸時代から使われている麹を発酵させ、砂糖を加えないで甘さを引き出す伝統的手法で製造する。
甘酒茶屋・wikipedia-photo (wikipedia・甘酒茶屋より)]
[【東海道「箱根地域」における「甘酒茶屋」について】
江戸時代、徳川幕府は人々や物資の往来が盛んになるように街道の整備を行いました。東海道はその中でも主要な街道で、この箱根地域(湯本~箱根関所間、通称「東坂」)は道が大変険しく、当時の旅人が普通一日十里(一里は4キロメートル)を旅するところ、箱根地域では八里しか歩けなかったようです。
道中には「甘酒」をふるまう茶屋が設けられるようになり、文政年間(1818~29)には「甘酒小屋」と記録があり、箱根地域には9箇所も植えられて設けられていたようです。この地には4軒あり、付近の追込坂上、樫木坂上、猿滑坂下にもありました。
しかし、明治十三年(1880)国道1号の開通などから街道を歩く人々が減少して、現在ではこの地に1軒が残るのみとなっています。
明治十四年(1881)当時は、ここにまだ3軒あったようです。材料を畑宿から運搬し、製造していたようです。
*当時「甘酒」が旅人の疲労回復に役立っていたと言われています。
神奈川県 箱根町教育委員会 (「旧東海道12回目(箱根東坂)」より)]
甘酒茶屋案内板(Google Map 画像)
「甘酒茶屋 – Google Map 画像リンク」「箱根旧街道休憩所・資料館 – Google Map 画像リンク」
カメラ位置は旧東海道で、カメラ初期設定方向が甘酒茶屋です。
カメラ位置は現東海道で、カメラ北西方向が甘酒茶屋で、カメラ北北東方向が箱根旧街道資料館です。