田代吉右衛門本店(鱗吉(うろこき))

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号3/14)
絵図右方向にスクロールすると、右端に「札辻」と記述される、そこの一筋下(千度小路)に田代吉右衛門本店(鱗吉(うろこき))があることになります。

  
田代吉右衛門本店(鱗吉(うろこき))
[当店は天明元年に神奈川県小田原市で創業を開始いたしました。天明元年(西暦1781年)とは、将軍が10代徳川家治老中田沼意次の時代。日本地図を作った伊能忠敬鬼平犯科帳でおなじみの長谷川平蔵が共に36才、解体新書を書いた杉田玄白48才、浮世絵師の歌麿28才、葛飾北斎21才。そんな人達が活躍していた時代です。  (「小田原 かまぼこ|元祖鱗吉(うろこき)|会社概要」より)]

[千度小路(せんどこうじ)
 この町は、漁業関係文書(1654 年)に初めて町名が見られます。
 これより前の「北条家朱印状」(1572 年)に「船方村」の名があり、この町のことといわれています。小田原北条氏時代(北条早雲氏綱氏康氏政氏直の北条氏 5 代(1495〜1590年))に漁村として形成され、江戸時代においても城下の漁業、廻船業、魚商の拠点でありました。なお、明治以降昭和 43 年までここに魚市場がありました。
 なお、天保初期(1830 年代)、町内の戸数は 107 軒で、漁船が 52 艘ありました。  (「城下町・宿場町 おだわらの町名・地名 町人地 – 小田原市」より)]

鱗吉(うろこき)かまぼこ通り本店 – Google Map 画像リンク」「旧町名保存碑 千度小路(せんどこうじ) – Google Map 画像リンク

カメラ南南東方向が田代吉右衛門本店(鱗吉(うろこき))です。

カメラ南南東方向に旧町名保存碑(千度小路)碑があります。