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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号9/14)
絵図左下に「当蕃所」と記述され、その左下に「箱根 札辻」と記述されています。

絵図右方向にスクロールすると、「箱根 札辻」と記述され、高札場が描かれ、その前が「L」字路になっています。

箱根 札辻
[札辻とは高札場が設置された場所を指し、高札(こうさつ・たかふだ)とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令(一般法、基本法)を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法で、これを最も良く用いて全国的な制度として確立したのは江戸幕府及び諸藩であった。特に重要度の高い触は木製の立て札である高札(制札)で掲示された。
高札制度の目的としては、
●新しい法令を民衆に公示する。
●民衆に法の趣旨の周知徹底を図る。
●基本法である事を明示する(違反者は「天下の大罪」であるとして、違反者は死罪などの重い刑に処せられることが多かった)。
●民衆の遵法精神の涵養を図る。
●民衆からの告訴(謂わば密告)の奨励(特にキリシタン札(切支丹札)などには高額の賞金が掲げられた)。
●幕府や大名の存在感の誇示。
などが挙げられる。
幕府は人々の往来の激しい地点や関所や港、大きな橋の袂、更には町や村の入り口や中心部などの目立つ場所に高札場(制札場)と呼ばれる設置場所を設けて、諸藩に対してもこれに倣うように厳しく命じた。
だが、明治7年(1874年)に高札の廃止が決定され、2年後には完全に撤去された。 (wikipedia・高札より)]
葛飾北斎『東海道五十三次』(東海道五十三次-葛飾北斎 画[他]-歴史画報社.pdf) – 箱根
東海道絵図の蕃所上方口から最初の角地がこのカメラ位置で、ここが絵図の札辻になると思います。カメラ北方向に高札場を模した箱根関所案内板があります。
元箱根、東海道・箱根旧街道と旅館はふや(現:富士屋ホテルチェーン箱根ホテル) (Wikimedia Commons)
箱根ホテル前から箱根 札辻方向のカメラです。(上写真近辺)