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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号5/14)
絵図右方向にスクロールすると、右端に「いりゅうだ(入生田)」と記述されています。その上の「禅宗 浄奏寺」が紹太寺と思われます。

紹太寺
[紹太寺(しょうたいじ)は、神奈川県小田原市にある黄檗宗の寺院。山号は長興山。
この寺は、小田原城主稲葉正則の開基、黄檗宗の僧鉄牛道機の開山により小田原宿に創建された寺で、1669年(寛文9年)現在地に移された。かつては大伽藍を誇ったが、幕末の安政年間(1854年 – 1860年)に焼失した。
紹太寺山門(2009年4月4日撮影)・wikipedia-photo
紹太寺本堂(2009年4月4日撮影)・wikipedia-photo
母の里石段公苑(2009年4月4日撮影)・wikipedia-photo
真横から見た長興山の枝垂桜(2009年4月4日撮影)・wikipedia-photo
(wikipedia・紹太寺)]
[本堂正面に総門の扇額「長興山」が掛かる。黄葉宗を伝えた渡来僧隠元(万福寺開山)の書である。本堂裏の墓地には、長興山開発供養塔があり、15 名の死者や役人・石工朝倉清兵衛ら多数の法名、労役僧名が刻まれている(市指定文化財)。また箱根戊辰戦争の遊撃隊員朝比奈某の墓もある。
石段を 360 段上ると、稲葉一族の墓所(市指定文化財)である。左から、開基の稲葉正則(開基・城主)、稲葉正勝夫人、稲葉正勝(正則の父)、春日局(正勝の母)、稲葉正則夫人、稲葉正通夫人、稲葉正則の長兄、塚田正家(正勝の家臣) の墓や供養塔が並ぶ。正則は父母を弔うために、城下の山角町に紹太寺(臨済宗)を建立し、寛文 9 年 (1669)、現在地に移転して、黄葉宗に改めた。開山は鉄牛道機和尚。黄葉の三傑といわれた名僧である。当時の正則は幕府の老中筆頭で、幕政の四代将軍家綱を支える中心人物だった。
長興山の枝垂桜 (樹名・シダレ ザクラ)は紹太寺建立の頃植えられた樹齢 300 余 年の老木なので、平成元年から樹木医による樹勢回復治療を継続している。背後にある寿搭付近の自然林の樹叢と共に市の天然記念物に指定され保護されている。この境内の特色の一つは牛臥せ石から谷川の石まで名僧の筆による名前が彫られている事である。 (「①一里塚跡 風祭駅から旧東海道に出て左(西方) に行くと」より)]
「紹太寺ホームページ」
紹太寺平面図
「長興山紹太寺 – Google Map 画像リンク」「紹太寺のシダレザクラ – Google Map 画像リンク」「長興山紹太寺 しだれ桜 – Google Map 画像リンク」「稲葉一族の墓所 – Google Map 画像リンク」
カメラ西南西方向が紹太寺山門です。
紹太寺山門前のストリートビューです。
長興山紹太寺 しだれ桜
稲葉一族の墓(Google Map 画像)