芦川の石仏群

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国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号9/14)
絵図右側の家並は箱根宿になります。

  
芦川の石仏群
[箱根関所から箱根宿へと歩を進める。宿を抜けたところに十二基の石仏・石塔が集まっている。この辺りから道は再び石畳となる。「向坂」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」「挟石坂」と続き、国道一号に合流するとほどなく神奈川静岡の県境、江戸時代相模伊豆の国境であった箱根峠へと至る。 ​  (「箱根宿2 – 関東地方整備局」より)]

[駒形神社のすぐ先を真直ぐ入って行くと旧街道の急坂が始まるが、坂の入口右側の草地に芦川の石仏群と称する数多くの石仏や石塔が並べられている。 
【「箱根旧街道」向坂地区杉並木・石畳】 国指定史跡
 旧箱根宿の西側にあたる芦川の町並みを過ぎると、旧街道は、箱根峠までの約四百メートルにわたって、急坂が続きます。この坂は順に「向坂」「赤石坂」「釜石坂」「風越坂」と呼ばれています。
 江戸時代期、街道整備の一環として、この急坂の両側には杉が植えられ、道路には石畳が敷設されました。これらは今日まで残されており、当時の街道の面影を今に伝えていることから、昭和三十五年に国史跡に指定されました。
【芦川の石仏群】 
 この箱根旧街道向坂地区の入口付近には、「芦川の石仏群」と呼ばれる、数多くの石仏・石塔があります。
 もとは芦川集落内の駒形神社境内にあったものを移したといわれています。ここには、箱根で最も古い万治元年(1658)の庚申塔や、江戸時代後期に建てられた多くの巡礼供養塔がなどがあります。
 これらの石仏・石塔には、当時造立にかかわった地元の方々の名前が見られ、地域の信仰のようすを知る上でも貴重なものとなっています。
     平成二十一年三月 箱根町教育委員会  (「旧東海道12回目(箱根東坂)」より)]

芦川の石仏群案内板(Google Map 画像)

芦川の石仏群 – Google Map 画像リンク

カメラ西南西方向路に杭が見える所右に芦川の石仏群があります。

芦川の石仏群・向坂(Google Map 画像)

芦川の石仏群案内板(Google Map 画像)