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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第三 小田原ヨリ三島マデ」(コマ番号4/14)
絵図に「一里塚 京から九十九里 江戸から二十一里」と記述されています。

風祭一里塚
[ここは、旧東海道に設置された江戸から21番目の一里塚があった場所である。
慶長9年(1604)江戸幕府将軍徳川家康は、息子秀忠に命じて、東海道、東山道、北陸道に、江戸日本橋を起点として一里(36町・約4キロ)ごとに塚を造らせた。塚は男塚、女塚と、街道の左右に対で置かれ、広さは通常5間(約9メートル)四方であった。塚には榎を植え、旅人の1里ごとの目印とするとともに、夏季における木陰の休憩場所とした。 風祭の一里塚については、天保年中の相模国風土記稿に「東海道側に双塚あり、高各一丈、塚上に榎樹あり。囲各八九尺、東方小田原宿、西方湯本茶屋の里塚に続けり」とある。 (「東海道:風祭一里塚」より)]
(Google Map 画像)
[道祖神
一里塚説明版の脇に道祖神が 2 体置かれている。1 体は単体僧形の道祖神で伊豆地方に多くみられる型の北限とされる貴重な物。もう 1 体は石祠型の道祖神。これらは市の指定文化財になっている。 (「①一里塚跡 風祭駅から旧東海道に出て左(西方) に行くと」より)]
カメラ北西方向小田原の道祖神後ろに風祭一里塚案内板があります。