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「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第二 戸塚ヨリ小田原マデ」(コマ番号10/19)

馬入一里塚跡
[東海道 馬入の一里塚
慶長九年(一六〇四年)、徳川幕府 は東海道 など五街道 を整備し、江戸日本橋からの距離が分かるように一里塚を整備しました。一里塚は街道に一里(約四キロメートル)ごとに造られ、築造時の資料によれば、五間(約九メートル)四方の塚でした。塚の上には、目印として主に榎が植えられました。旅人にとって一里塚は、旅の進み具合を知らせる目印であるとともに、木陰は休息場所にもなりました。
馬入の一里塚 は、この付近にありました。江戸日本橋から数えて十五番目の一里塚で、旧東海道 をはさんで南北に一つずつの塚がありました。文化三年(一八〇六年)に出版された「東海道分間延絵図」には、北側の一里塚の前に井戸が、馬入の渡しに向かう東側に川会所や川高札が描かれています。
平成十六年(二〇〇四年)三月
平塚市 (「東海道 馬入の一里塚 – Monumento(モニュメント)」より)]
カメラ南方向に「馬入一里塚跡」碑と案内板があります。
馬入一里塚跡碑(Google Map 画像)