府中宿(ふちゅうしゅく、ふちゅうじゅく)は、東海道五十三次の19番目の宿場である。街は城下町である駿府の一角を成していた。現在の行政区画では静岡市葵区に属する。
徳川家康のお膝元であり、旧東海道はJR静岡駅の北側に位置する駿府城との間を抜け、安倍川に至る。川の手前の西見付がかつてあった弥勒辺りには、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する安倍川餅を売る売店が存在する。 (wikipedia・府中宿より)
東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第五 江尻ヨリ金屋マデ」よりダウンロードして利用しています。
元図「コマ番号 5/7」リンク
絵地図上に「府中 御城」「札辻」と記述されています。接続地図左上の「せんげんヘノ道」は静岡浅間神社への経路起点を示しています。絵地図右に「ほうげん寺」、「新光明寺」、「ほうだいいん(寶泰寺)」、「けよういん(華陽院)」と記述され、その右下「くのへの道」は久能山東照宮への街道を示しています。右スクロールすると街並み外れに「ぢぞう尊」(延命地蔵尊)と記述され、その付近が東木戸になります。右下に「八まん山」は現在の八幡山公園、そこの右上に「きつねざき(狐ヶ崎)」と記述されています、狐ヶ崎の地名は現在の静岡市駿河区曲金になるようです。
元図「コマ番号 5/8」リンク
絵地図中央に「あべ川歩渡り」と記述され、左に「てごし(静岡市駿河区手越)」「禅宗 せんせう寺(泉秀寺)」と記述され。右に「正念寺(臨終山 正念寺跡)」、絵地図を右スクロールすると「此遍家のうらに 一里塚あるよし 江戸から四十三里 京から七十七里」と府中の一里塚が表示され、その右の「ほうだいいん」は宝台院の道筋を示しています。
[安陪川畔の刑罰場跡に、1644(寛永21)年に千日堂が建てられ、後に正念寺となりましたが、1872(明治5)年には、廃寺となりました。 (「Laudate | キリシタンゆかりの地をたずねて」より)]