江尻宿(えじりしゅく、えじりじゅく)は、東海道五十三次の18番目の宿場である。現在の静岡県静岡市清水区(旧清水市)の中心部にあたる。
駿河湾に注ぐ巴川の河口付近に発達した宿場町である。江戸時代以前の戦国時代には、武田氏家臣馬場信春により江尻城が築かれ、城下町化して栄え始めたという。清水港に近く、江戸時代には江戸への物流拠点となった。また、清水次郎長ゆかりの地であり、次郎長の生家や菩提寺(梅蔭禅寺)、次郎長の船宿「末廣」などが残る。 (wikipedia・江尻宿より)]
東海道絵図は「国立国会図書館デジタルコレクション – 東海道絵図」 – 「東海道絵図. 巻第四 三嶋ヨリ江尻マデ」、「東海道絵図 巻第五 江尻ヨリ金屋マデ」よりダウンロードして利用しています。
元図「コマ番号 4/24」リンク
初期画面絵地図左端に「江尻 札辻」、鍵の手下に「是から清水ヘノ道」と記述され、右方向街道上に「こうせう寺(江浄寺)」「日蓮宗 妙うせん寺(妙泉寺)」「日蓮宗 妙れん寺(妙蓮寺)」と記述され、絵地図を右スクロールすると「一里塚 江戸から四十里 京から八十里」と辻一里塚が表示され、「道心者 常念佛」と記述されています。
江尻宿案内板
[清水港ノ入口から札の辻迄の間に本陣、脇本陣、問屋場の宿場機能が集中している。]
元図「コマ番号 5/3」リンク
初期画面絵地図中央に「いるいまち(静岡市清水区入江)」、そこの左方向に「くのへノ道」、「をいわけ(静岡市清水区追分)」(久能山へと至る久能道との追分)、「えんじゅいん(延寿院)」、中央右に「禅宗 志うん寺(慈雲禅寺)」、「禅宗 とうめいいん」と記述され、その右下に「浄土宗 法うがん寺(法岸寺)」「清水ヘノ道」と記述されています、慈雲禅寺左が西木戸になり、右方向に「かうじん(荒神)」「ともえ(巴)川」「江尻 札辻」と記述されています。
元図「コマ番号 5/4」リンク
絵地図中央左に「くさなぎ(静岡市清水区草薙一里山)」と記述され、中央に「一里塚 江戸から四十一里 京から七十九里」と草薙一里塚が表示され、右端に「いわはら(岩原・現-静岡市清水区上原)」、絵地図を右スクロールすると、「ちぞう堂(上原子安地蔵堂)」、「ひらかわち(静岡市清水区平川地)」、右端に「田中ニ うばが池(姥ヶ池 弁天様)」、「えんじゅいん(延寿院)」、「をいわけ(静岡市清水区追分)」と記述されています。
元図「コマ番号 5/5」リンク
絵地図中央に「く里はら(静岡市駿河区栗原)」、絵図を右スクロールすると「えんま」、「禅宗 とうかう寺」、「よしだ(静岡市駿河区国吉田)」と記述され、この地の東海道本線・東海道新幹線の栗原跨線橋の脇に旧東海道記念碑が設置されています。
元図「コマ番号 5/6」リンク
絵地図初期設定画面左下に「きつねざき(狐ヶ崎・現在の静岡市駿河区曲金)」、そこの右上に「白ひげ大明神」(曲金 軍神社(境内社・白髭社))、「や津(柚木谷津村・静岡市葵区柚木)」、「ほうとうじ(法幢寺・平成十八年に「東静岡周辺地区土地区画整理事業」により移転。)」と記述されています。絵地図を右にスクロールすると「ながぬま(静岡市葵区長沼)」と記述され、その左に「一里塚 江戸から四十二里 京から七十八里」と長沼一里塚が表示されています。