「滝の橋と本陣跡」案内板、「神奈川町本陣跡と青木町本陣跡」案内板

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
神奈川宿図(拡大元画像・絵図東海道、瀧ノ川に架かる板橋の右上に「高札」「本陣」、左下に「本陣」と記述されています。)

滝の橋と本陣跡
[上の図は『金川砂子』に描かれた江戸時代後期の神奈川宿の風景である。現在と同じ場所にあっ た滝の橋を中心に、江戸側には神奈川本陣、反対側に青木本陣跡が置かれていた。本陣とは、 大名や公家などが宿泊したり、休息する為の江戸幕府公認の宿である。
 滝の橋のすぐ脇には、高札場が見える。高札場は幕府の法度や掟を庶民に徹底される為の重要な施設である。この高札場は、現在の地区センターに復元されている。]

滝の橋と本陣跡(Google Map 画像)

神奈川町本陣跡と青木町本陣跡
[慶長6年(1601)、東海道宿駅伝馬の制が定められた時、市域では、神奈川保土ケ谷 の二宿(戸塚宿はその後の設置)が設けられました。神奈川宿は、滝の橋を挟んで、東の神 奈川町、西の青木町に本陣ができ、神奈川は石井家(源左衛門)青木は鈴木家(源太左衛門) が任命されました。神奈川町本陣跡は、現在の小野モータース辺り、青木町本陣後は、現在 横浜銀行中央市場支店辺りです。本陣は、幕府より指定された大名・公家・役人などの宿泊、 休憩する施設です。]

神奈川町本陣跡と青木町本陣跡(Google Map 画像)

歌川広重『東海道五十三次(狂歌入東海道)加奈川』 「双六の 旅もいろはの かな川に あがるもたのし 春雨の空 松本亭篤」 (Wikimedia Commons)

『東海道五十三次細見圖㑹 道中風俗 神奈川』、「江のしま詣 盲人弁天参り」(Wikimedia Commons)

滝ノ橋と本陣跡碑 – Google Map 画像リンク」「神奈川本陣跡と青木本陣跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北北東方向に「滝の橋と本陣跡」案内板(画像リンク・「神奈川宿歴史の道を歩く(三)」より)があり、カメラ南東方向が第一京浜に架かる橋で、かって東海道の「滝の橋」が架かっていた。(カメラ位置-1)

カメラ北北東方向歩道上・40km標識柱左に「神奈川町本陣跡と青木町本陣跡」案内板(画像リンク・「神奈川町本陣跡と青木町本陣跡」より)があります。

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