万年屋茶飯屋跡

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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
川崎宿図(拡大元画像・絵図中央右が、六郷の渡しで「渡船場」と記述されています。)

万年屋茶飯屋跡
[万年屋(まんねんや)は、江戸時代東海道川崎宿にあった掛茶屋。旅人のほかに、厄年の男女が川崎大師参詣の途中に多数、立ち寄ったので、とくに繁昌した。『江戸名所図会』には、挿図のみが掲載され、記事がないが、当時は説明を要しないほど知名度の高い旅館兼茶屋であった。奈良茶飯が名物であった。歌「お江戸日本橋」にも「(前略)六郷(ろくごう)わたれば 川崎の万年屋(後略)」とうたわれた。  (wikipedia・万年屋よ)]

奈良茶飯
[少量の米に炒った大豆や小豆、焼いた栗、粟など保存の利く穀物や季節の野菜を加え、塩や醤油で味付けした煎茶やほうじ茶で炊き込んだものである。しじみの味噌汁が付くこともある。栄養バランスにも優れ、江戸時代に川崎宿にあった茶屋「万年屋」の名物となった。
元来は奈良興福寺東大寺などの僧坊において寺領から納められる、当時としては貴重な茶を用いて食べていたのが始まりとされる。本来は再煎(二番煎じ以降)の茶で炊いた飯を濃く出した初煎(一番煎じ)に浸したものだった。江戸時代初期の『料理物語』には、茶を袋に入れて小豆とともに煎じ、更に大豆と米を炒った物を混ぜて山椒や塩で味付けして炊いた飯を指すと記され、更に人によってはササゲ・クワイ・焼栗なども混ぜたという。現在も香川県郷土料理となっている茶米飯は、米と大豆を炒ってものを少々の塩を入れた番茶で炊いて作られており、『料理物語』に記された奈良茶飯と同系統の料理であるとみられる。それが江戸や川崎に伝えられ、万年屋などで出されるようになったとされている。さらに十返舎一九滑稽本東海道中膝栗毛』に万年屋および奈良茶飯が登場したことで一層有名となり、万年屋は江戸時代後期には大名が昼食に立ち寄るほどの人気を博したと言う。(wilipedia・奈良茶飯より)]

江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・ 「河崎万年屋 奈良茶飯」(5-3)
河崎万年屋 奈良茶飯(拡大図)

狂歌江都名所図会 – 万年屋(拡大図)

万年屋跡 – Google Map 画像リンク

カメラ北方向に案内板があります。

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