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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
青木町図(拡大元画像・絵図東海道中央左、「一里塚」上に「三宝寺」と記述されています。)
三宝寺
[浄土宗寺院の三宝寺は、瑠璃光山と号します。三宝寺は、嘆誉和尚(慶長2年1597年寂)が開山となり創建したといいます。第二次世界大戦で本尊薬師如来立像を焼失、本山増上寺より本尊を遷座したといいます。寅歳開扉武南十二薬師如来霊場12番です。
『三宝寺は、瑠璃光山と号し、浄土宗に属す。慶長2年(1597)に寂した嘆誉和尚の草創である。
弘法大師の作と伝えられる薬師如来立像を本尊としていたが、関東大震災で被害を受け、第二次大戦で焼失した。現在の本尊は、その後、東京芝の大本山増上寺より遷座したものである。
当時で忘れてならない人物として第21世住職弁玉和尚がいる。和歌を橘守部・岡部東平に学んだ弁玉は、江戸時代末期から明治初期にかけて活躍した歌人である。(「神奈川区宿歴史の道」掲示より)』 (「猫のあしあと – 三宝寺」より)]
「江戸名所図会. 巻之1-7 / 斎藤長秋 編輯 ; 長谷川雪旦 画図 」・「神奈川総図」(5-35)
神奈川総図(拡大図)
[図会右ページに本覚寺、左ページ下に三宝寺、参道口右に地蔵、左に薬師堂、薬師堂左に一里塚、一里塚左に参道と金毘羅(大綱金刀比羅神社と神奈川一里塚)が描かれています。]
カメラ位置は第2京浜青木橋交差点で、カメラ西北西方向に三宝寺が見えます。
カメラ北方向に三宝寺標柱があります。
カメラ南南西方向が三宝寺北門です。