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五海道其外分間延絵図並見取絵図(出典:国立博物館所蔵品統合検索システム)
戸塚宿図(拡大元画像・絵図東海道中央左、「高札」上に「牛頭天王」と記述されています。)
八坂神社
[由来
元亀3(1572)年6月郷の庄司内田兵庫源政親が牛頭天王社を草創勧請したものであるが、 いつしか社殿敗壊眞躰の神器は草もうの中に散在し、止むなく地中深く埋め祭祀を欠くこと200年に及んだ。 内田氏の末葉内田佐衛門蔚源政利これを憂い、元禄元(1688)年矢部村庄司河原氏の霊夢により土壌を起し眞躰を得て その再興をはかり祭祀を行った。 明治初(1868年)年八坂社と改め、更に昭和7年9月19日八坂神社と改称した。 祭典は7月7日、14日まで、行事は7月14日。 無病息災を祈願して行われるお札まきは、 町内男子10名が女装し渋団扇を打ち原始的踊をしつつ五色のお札を中天に撒く。
『旧東海道 八坂神社
通称「お天王さま」として親しまれている戸塚宿の鎮守です。 元亀3年(1572)に、牛頭天王社を勧請したのが始まりと言われています。 毎年7月14日に行われる「お札まき」は、無病息災を祈願して市の指定無形文化財になっています。 神社脇の東海道と鎌倉道が交差するあたりに高札場がありました。 (戸塚区役所)』
『横浜市指定無形民俗文化財 お札まき
お札まきは、7月14日の八坂神社の夏祭りに行う踊りで、同社の元禄再興とともに始まったと伝えられています。 この踊りは、江戸時代中期、江戸や大阪で盛んに行われていましたが、やがて消滅し、 現在は東海道の戸塚宿にだけ伝え残されています。 男子十数人が姉さんかぶりに襷がけの女装をして裾をからげ、渋うちわを持ち、 うち音頭取り一人はボテカズラをかぶります。 音頭取りの風流歌に合わせて踊り手が唱和しながら輪になって右回りに踊ります。 踊り終わると音頭取りが左手に持った「正一位八坂神社御守護」と刷られた五色の紙札を渋うちわで撒き散らします。 人々は争ってこれを拾って帰り、家の戸口や神棚に貼ります。 神社境内で踊り終わると、町内各所で踊り、神社に戻ります。 風流歌の歌詞に「 ありがたいお札、さずかったものは、病をよける、コロリも逃げる 」という文句があることから、 祇園祭と同様な御霊信仰に基づく厄霊除けの行事であることがわかります。 神札を路上に撒き散らして人々に拾わせる御符配りは、現在では極めて珍しく、民間信仰資料として貴重です。 (横浜市教育委員会) (「悠歩悠遊 – 戸塚宿」より)]
カメラ西方向が八坂神社参道です。
八坂神社お札まき開催中のカメラです。